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最高権力者の風格


過日支持者宅を訪問した際、壁に飾られている一枚の写真が目に留った。
二人の政治家が並んでグラスを持ち、カメラに視線を向けるモノクロ写真。
在りし日の田中角栄元首相と大平正芳元首相である。
おそらく、パーティーでのショットであろう。
大平が四十日抗争後、総選挙の最中に死去したことを考えれば、氏の総理在任中か、あるいは幹事長、外務大臣在職当時に撮られたものか。

 

二人の姿からは、最高権力者が備える風格と迫力が圧倒的に滲み出ている。
日本政治を総覧し、その表裏を知悉しているという自負。
壮絶な権力闘争を潜り、総理総裁の座を手中にした自信。その自分以外に国を導く者はいないという確信。
それらが醸し出す風格と迫力である。

 

吉田、鳩山、石橋、岸。
池田、佐藤、田中、三木。
福田、大平、鈴木、中曽根。
戦後、少なくとも「三角大福中」と言われた時代まで、最高権力者にはそれがあった。
そしてこの時代は「自民党戦国史」と形容されるほど、激しい権力闘争が演じられた時でもあった。

 

翻って今、相次ぐ総理の辞任を目の当たりにし、国民はいつしかその座から風格と迫力が失われたことに気づくのではなかろうか。ではそうなったのはなぜか。

 

橋本元総理以降、福田総理に至る全ての総理は政治家を親にもつという事実。
そして現在、衆参両議員の約19%、衆議院議員だけでは約25%もが二世、三世議員といわれる実態。

 

故早坂茂三氏は、1987年の「中曽根裁定」で竹下登が安倍晋太郎を凌いで後継総裁に指名された理由を「二人がかいくぐった修羅場の数の違い」と喝破した。

 

挫折を味わったことのない政治家が増えたこと。そして総理の座へ就くに至る権力闘争が、小選挙区制の導入に伴う党執行部の強化により、小泉退任以降極めて矮小化したこと。
現代日本政治を取り巻くそうした事情が、政治家から闘争をする気迫を奪い、ひいては風格の喪失を招いているのではないか。

 

国運を担わんとする気概。
国民生活の安定を図るべき責任の自覚。
それは表裏一体である。
前者が薄ければ、後者は自ずと弱い。
それは国民にとり悲劇である。

 

福田総理の辞任は、その心性にこの気概が薄かったことを図らずもさらけ出した。

 

乱世の日本を導く最高権力者の要件のひとつは国民生活安定の為にこそ政治闘争を厭わない気迫なのである。そのことを自らに改めて銘記した今回の政変であった。

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