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鼎談「集団的自衛権と憲法改正 解釈改憲の陥穽を指摘する」 風間直樹参議院議員、ポール室山氏、荒井達夫氏

去る2014年11月、集団的自衛権の解釈変更問題を巡り、この問題に詳しい3人の専門家による鼎談が行われました。
ここにその記録を掲載します。

ポール室山氏:
ワシントン在住の政治アナリスト。
『ライジングジャパン』中央公論新社、『ワシントン政治を見る目』中公叢書 著者。
氏のワシントン政治分析には内外から高い評価が寄せられており、
特に週刊Washington Political Reportは分析の深さと濃密さで他の追随を許しません。
また氏は合衆国憲法、日本国憲法の研究者でもあり、とりわけ行政権に関する論考は世界のトップレベルです。
今後、わが国の憲法改正をめぐる議論に大きな影響を及ぼすでしょう。

荒井達夫氏:
千葉経済大学特任教授、信州大学非常勤講師
参議院憲法審査会事務局首席調査員(鼎談収録当時)
人事院、参議院法制局・調査室と、長年にわたり行政府および立法府に勤務。
参議院の行政監視機能について最先端の議論を展開し、国会議員とともに調査研究を続けており、この分野での第一人者です。
日本有数の法律解読力をもち、憲法、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法といった基本法制に通暁。また行政の組織・人事の実態に詳しく、制度の運用を知悉しています。

前半(平成26年11月19日収録) 
後半(平成26年11月20日収録) 

《記号》

K:風間直樹 参議院議員
P:ポール室山氏 
A:荒井達夫氏 

第1 前半(平成26年11月19日収録)

A;お二人は現在の我が国を取り巻く情勢をどうご覧になっていますか。

K;では私から国会の情勢などをお話ししたいと思います。まず集団的自衛権の問題。総理がなぜこの解釈変更をやりたいのかが、国会では見えてこないですね。一番念頭にあるはずなのは中国の問題ですけど、国会で中国という固有名詞を挙げることはなかなか憚れるんでしょう。ですから国民には、なぜ安倍さんが解釈変更を急ぎたいのか、理由がよく分からない。国民の理解が深まらないまま解釈改憲を進めたので、世論にはそういう強引なやり方に対して、それ絶対に止めよといった反対の声が挙がり、表面的な議論に流れている部分があるように私は感じています。
 さて、安倍さんの意図です。情報収集してみると、尖閣諸島を巡る紛争が起きた場合、日本は何ができ、何ができないのかという問題意識がまず念頭にあるようですね。
 紛争になった場合、日本人にとって最初の疑問は「日本の独力で尖閣を守れるんですか?」だと思うんです。海上保安庁に次いで自衛隊が当然、前面に立つんでしょうけども、中国と日本の軍事力を比べた場合、日本が守れるのかというのが第一点だと思います。で、もしそうなった場合、米軍は当初、状況を見守るということになるのでしょうが、いよいよ日本独力だけでは危ういという局面になった場合、日本政府からアメリカ政府に対して支援の要請をするのでしょう。米国政府が議会の同意を得て介入するか否かは別の問題ですが。それで、今回の集団的自衛権を巡る解釈変更というのは、その先を見据えているんじゃないかなと思います。つまり、仮に尖閣紛争時に米軍が支援してくれたときに、じゃあ、将来、もし逆の立場になったとき、アメリカが世界展開する中で、ちょっとここは自衛隊に手伝って欲しいという要請を日本政府にしてきたときに、日本がそれを断れるか。さすがに尖閣の紛争で米軍に色々と力を貸してもらう手前、断れないよねという思いが政府内にある。ですから、そういう事態を視野に入れながら、この集団的自衛権の解釈変更はやっておきたいというのがまず一つだと思います。

 それからもう一つは、日本の近隣地域で有事が起きた場合。例えば、朝鮮半島ですとか台湾で。これは日本の安全保障に直結する。しかしその当事者となるであろう米軍への後方支援に限っても、日本の法制上、容認されない部分が多々あります。で、後方支援を可能とするには、憲法9条の解釈についてやはり見直す必要があるという強い意識が安倍さんにはあるんだと思います。これは集団的自衛権に関わる問題です。
 で、3番目ですが、オバマ政権の現状を見たときに、果たしてこの政権で世界の安全保障は大丈夫なのだろうかという不安が、日本のみならずにアメリカの同盟国と言われる国々にあるようです。ヨーロッパも然り、アジアも然り。例えば、シリアの問題もそうでしたし、リビアを巡る問題もそうです。シリアはアサド大統領があそこまで拳を振り上げて、やれ化学兵器を持っていそうだと、それに対してかなり強い警告をアメリカ政府が発しておきながら、いざという局面になるとオバマ大統領が腰砕けになって、振り上げた拳の下ろしどころが見つからない。この状況には、同盟国の首脳たちは戦慄し、落胆したと思います。彼らは、オバマ政権が続く限り大統領とは付き合わざるを得ない。じゃあ、今後アメリカが世界の警察官という立場を続けるのか降りるのかというときに、オバマ大統領ははっきりとアメリカにはその任務を担うだけの能力と力も無いと言っている。そうすると、日本としても、やはり中国の勃興という情勢を視野に入れたときには、アメリカに頼らずに我が国の防衛なり安全保障政策をしっかり司っていく必要があるだろうと。そして、集団的自衛権の問題も一度再考しておくべきだ、という情勢認識があるんだろうと思います。安全保障政策の観点から高い評価を受けて来た歴代アメリカ大統領、例えば、レーガン、ニクソンなどに比べて、オバマ大統領の軍事的能力、安全保障に関する洞察力とは著しく低い、という声が米国内にもある。だから日本政府は安全保障戦略を根本から見直す必要性を感じている、という見方は永田町にある。
さて、国内政局に目を転じてみましょう。集団的自衛権の解釈変更を巡ってはご案内のように、自民党と公明党による協議が行われまして、自民党側では高村副総裁、公明党側では北側さんが当事者となって二者の会談を何回もやった訳ですね。そこに外務・防衛両省から幹部クラスが加わってぎりぎりの調整をして、最終的に決着させ、文面を作って7月末の閣議決定に持ち込んだ。
ですから、この閣議決定の文面は、ほぼ高村・北側会談で決まった内容だと見て良いかと思います。ところがですね、その後7月からこの秋口にかけて明らかになってきたのが、日米でガイドラインの策定協議の中で、どうも日米間の話し合いがうまく進まないという事実です。なぜか。自公で作った閣議決定の文面に、実は自民党と公明党の認識の大きな隔たりが表れている。そもそも政府与党内部で認識の相違があるのに、アメリカに対しガイドラインでこうしましょうとは日本政府として言い切れない。これが明らかになってきたのだと思います。この自公両党の認識の齟齬は今も放置されています。その結果、ガイドラインの策定が当初の予定より大幅に遅れてしまって、現状ではこの年末を目指して協議をしようと言っていたのに到底間に合わないと。来年になっても、いつ協議が済むか分からないという体たらくです。自公の見解の齟齬が当面埋まらないまま、来年の通常国会を迎える可能性も大きくなったということですね。そこまでが、今日時点までの動きです。

P;今仰った指摘された中で、なぜ集団的自衛権を持ち出したかというものの中に、米国への配慮、米国に対するそのお返しという意味ですね、そのニュアンスはどの程度強いのでしょうか?

K;これは非常に強いと思います。これまでも日米の防衛協力の中で、いろんな機微に触れるやり取りがあったと思うんですけど、今アメリカの立場から尖閣を巡る日中間のいろんなやり駆け引きを見たときに、米国には「日本はどこまでできるの?」という目線があるんでしょうね。中国と対峙して日本はどこまで立ち回れるの、と。どこまでできるの、と。アメリカとしては中国も大事な貿易相手国であり、ある種の戦略的貿易パートナーであるので、当然だけども、日中間でぶつかるなんてことは絶対に避けて欲しい、そんなことは許さないよ、と。ただ、そうとはいえ、もし尖閣を巡って紛争が起こった場合、日本はどこまでできるの、ということは、協議の場で言われているんだろうと思います、外務省・防衛省の当局者たちは。ですから彼らにしてみれば、アメリカからこういうふうに見られている手前、こっちとしてはやはり手ぶらで助けてくれとは言えないよな、というのが本音だと思いますね。

P;予算面では、予算負担はずっと増えている訳ですね?

K;そうですね。

P;相応の予算分担をしなければアメリカが日本を守ってくれないという感じになってきていますからね。で、この集団的自衛権というのは、実際の軍事行動面においても、日本の分担という観点から集団的自衛権の行使は避けて通れなくなっているという、そういう理解、あるいは、そういうような基本的な視点を持っているのかなという感じはしたんです。

K;そうですよね。仰る点が第一で、もう一点が先ほど言いました様に、アメリカのパワーの低下によって、やはり日本独力での安全保障あるいは保障戦略というものをきちんと考えて実行していかなきゃいけないと、もう頼れないと。この2つのベクトルが交差したときに、集団的自衛権の解釈変更が起きたんじゃないでしょうか。

P;私もそう思いますね。なるほど。

K;今後ですが、来る12月14日の解散総選挙を終えて、議席が各党どうなるかは予断を許さない訳ですけれども、与党が過半数を失うという可能性は極めて希ですから、選挙後も自公政権は続く。すると来年も通常国会、連休明けくらいにはこの集団的自衛権の関連法案を政府は提出してくると予想できると思います。平行して、先ほどのガイドライン策定も日米間で進んでいくと思いますけれども、ここは与党内で相当揉めるでしょう。関連法案の中身を巡っても揉めるでしょうから、自民・公明の軋轢も大きくなるでしょうし、野党は当然、これに批判的立場から審議をしますので、かなり来年の通常国会は荒れる展開になると思いますね。与党内も荒れる、与野党でも荒れると。それが一段落すると、私は安倍さんの気持ちの中にはどこまで一緒に公明党と今後やっていくのかという想いが沸々と大きくなっていく可能性があると思います。解釈変更ですらこれだけギリギリとやった末に、まだ齟齬がある訳ですから、この先、安倍さんが目指す憲法改正というゴールを視野に入れると、果たして公明党というパートナーと一緒で、その大目標を実現していけるのかという想いが安倍さんの胸には去来すると思うんですね。ですから、安倍政権の最終的なゴールが憲法改正であることは間違いないわけで、そこに向けて安倍さんが舵を切っていくのであれば、かなり政局的には波乱も予想されるんじゃないかと思っています。

P;来年春ないし初夏に提出され審議採決が予想されている集団的自衛権関連法案と言うんですけど、具体的な条項として何が柱になるのでしょうか。その中にですね、憲法改正にまで触れるような条項はあるのでしょうか?

K;これはですね、どういった法案をいくつ出してくるか。

P;既に素案は存在するのですか?

K;まだ全く出ていません。これは与党内でまだ揉めているような状況ですから、政府で出せるような段階ではないと。ただ一つ言えるのは、そういった法案が憲法改正を必要とするものにはならないということですね。あくまで今回の解釈変更に基づいて自公両党で探れる落としどころの法案が出てくると。

P;そうすると基本的には、どういう状況においてこれを行使することが許されるかという辺りが中心になってくるのでしょうか?

K;そうですね。今回の解釈変更で政府が挙げた3つの事例というのがありまして、安倍さん曰く、この3つの事例に沿った解釈の変更を閣議決定で行ったということです。ですから、提出が予想される法案も当然その3事例に予想された内容になるんだろうと。

P;なるほど。それから、憲法改正へ向けて見通しというか、展望というか、それから時間的にいつ頃そういうのが出て来るのか、そんな感じは分かりますか?

K;これはかなり壮大な目標だと思います。で、この目標を前に進ませるためには、まず経済的にはアベノミクスを成功させないといけない。ここに来てGDPが失速していますのでアベノミクスが頓挫しつつありますが、アベノミクスが成功して株価も上がり企業収益も上がり、それが循環して賃金も上がったときに、初めて安倍政権に対する国民の支持率も上がりますので、そのときに安倍さんが目指す憲法改正への環境が整うと思います。ただ、じゃあ、そこで改正に必要な衆参両議院の3分の2の議席を与党が持っているのかというと、これは甚だ疑問でして、ここはちょっとまだ未知数です。

P;来年の関連法案というのは憲法改正には一切触れないという前提でもって提出され、議論をし、それで採決を目指すということになると思うんですけど、これに関しては問題はないわけですか?憲法改正を要するという議論が一方にあるのに、集団的自衛権は現在の憲法の下で可能であるということを前提としてこの関連法案も成立させようとすることに問題はないのですか?

K;そうですね。そこは自公の間で、もう一波乱有るんだと思います。

P;この法案が提出されて審議される過程で、やっぱり憲法改正しなければこういったものは通せないじゃないかという議論にもう一回蒸し返されるような可能性はありませんか?

K;充分ありますね。

P;特に野党の方はそういった言い方をするかもしれないでしょうね。

K;ただでさえ、自公の認識の齟齬がある中で、法案が出て来る前段階で相当与党内で揉めるでしょうし、出て来たとしてもポールさんが仰るように、野党の方から当然その隙間の部分は徹底して突かれるでしょうし、ちょっとこれは多難な法案審議になると思います。
 それで日本国内での議論を振り返りますと、この集団的自衛権の解釈変更を巡るいろんな議論が6月くらいからずっとあって、新聞メディアでも色んなその議論が行われている訳ですが、私から見るとちょっと日本国内、メディア、国会で行われている議論というのは不十分な面が多々あると感じています。例えば、後ほどまた詳しく話しますけども、そもそも憲法解釈変更を閣議決定で行えるんですか、といった論点が国会でもあまり議論されなかった。メディアでも取り上げられていない。ですからこの問題を巡っては国内での論議をもっと尽くすことが必要であるんだと思うんです。一方で、アメリカからご覧になりまして、この問題がどんなふうに観えるのか、その辺りはいかかでしょう?

P;ありがとうございます、お話し頂いて。日本側の事情が分かりましたので、今度は私から、アメリカからこの問題がどの様に観えるかいうことを簡単にお話ししたいと思います。アメリカでは主要紙とかテレビはあんまり取り上げませんけれども、断続的に東京からの外電として、こういった議論が起こっている、議論されている、と伝えられましたので、一般のアメリカ人でも少しは理解していると、まあその程度ですね。
 しかし、基本的にどういうふうに観えるかというと、この集団的自衛権というのを英語で言いますとcollective self-defenseと言っていて、それで個別的自衛権はindividual self-defenseと言うんですね。それは英語でそう言うんですけど、実はアメリカの新聞紙上では、アメリカの安全保障関係に関する記事の中にこの言葉を見たことが無いんですよ。これはアメリカでほとんど使われてない言葉、アメリカで使う必要がない言葉なんですね。ですから、若干奇妙に見えることなんですね。それでなぜ使われないかというと、同盟関係allianceという概念ですが、この中に当たり前のこととしてcollective self-defenseが入っている。同盟関係はどういうことかと言いますと、全部collective self-defenseなんですよ。いわずもがなのことがcollective self-defenseであるということなんですね。まさに同盟国の防衛のために軍を動かすというのが同盟であってアメリカが責任を果たすわけです。それが日本的に言うと、集団的自衛権ということになる。だから、繰り返しますけれど、同盟国関係というのは本来、集団的自衛権であると。それをアメリカは実際に実行してきたわけですね。今更あらためて集団的自衛権という言葉を使う必要が全くないということなんですね。
同等の同盟関係というのは本来、同盟国同士がお互いに集団的自衛権を行使することなのだと考えてよいと思いますね。そうすると、今、日本で集団的自衛権が大きく議論されているというのは、今までの日本とアメリカとの同盟関係は平等・同等の同盟関係ではなかったという証ではないかと思います。アメリカが日本を守ってやって、日本はアメリカを守る必要はないという前提に立った同盟関係だったんですね。それを今安倍さんが、日本も同等の防衛の責任を果たそうというふうに考え直そうとしているのだという感じには見えるんですね。しかし、現在の憲法の下で、原則として軍隊を持っていない憲法の下でそういったことをやろうとしているんですから、基本的に大きな問題があるんですけど。いずれにしてもアメリカからはまずそんなふうに観えるんです。

K;そうですね。仰るとおりで、そもそも日本国憲法9条で武力の行使を禁じていますので、戦後の国会論戦の中では、飽くまでこれは自国防衛に限るんだという解釈が成立したんですよね。ですから安保条約ではある意味片務的と言いますか、アメリカが日本を守るけれど日本はアメリカを守る必要はないということになっています。この部分は、例えば、自民党の石破さんなどは根本的にもう見直してお互いこれは双務的に義務を負うということにして、一方で沖縄の米軍基地は駐留米軍から出て行ってもらおうと、こういう考えの政治家もいるわけですね。ですから今は、日本はアメリカを守る義務は無いというある意味では片務的な条約になっているんだろうと思います。

A;一つよろしいですか。私は色々な議論をしてきまして、集団的自衛権とはそもそも何なんだという話から始まったんです。それは国連憲章51条に出て来てるんですね。それを日本国内で議論しているわけですよね。その51条が創られたときの背景というのを見ていくと、個別と集団とはっきり全く違うようにわけていたのだろうかという疑問を感じちゃったんですね。それは、今ポールさんのお話しを聞いていますとますますそういう感じがしまして、要するに、国連憲章を創ったときに自分一人では守れないので皆で守るという単純に素朴な発想だったと思うんです。国連憲章では武力の行使、戦争そのものはもちろん、を一般的に禁止にしますと。それでも攻められたらどうしますかと言いますと、戦わざるを得ない、最後にはそれを認めざるを得ない。でも、一人じゃとても無理だから、じゃあやっぱり一緒に、という、すごく素朴な形だったと思うんですね。それが日本の憲法の中で議論されてきたらどうなったかというと、全く違う概念になって、それで、この間の話の中では、売られていない喧嘩をなぜわざわざ買いに行くんだという話になっている。私はとてもそれに違和感を感じまして、もともと国際法を勉強したこともありましたから。髙野雄一さんという国際法の大家の東大の先生で、外交官試験の試験委員をおやりになって、もうお亡くなりになっていますけれど、その人の本の中にそこら辺が書かれているんですね。もともとが集団的って言ったって自分と関係がないものに戦いに行くってそんなものはない。常に自分が守られないと意味が無い。そういうことなんですね。集団的と言ったって、同盟を結んでいるけど、こっちの人たちの利益であって自分たち関係ないんだけど売られちゃったからわざわざ買いに行く、そういうすごい話ではないんですよね。そこら辺はズレちゃっているなあという感じを私は持ってまして、ポールさんが今言われた話でますますそう思ったんですね。だとすると、もっともっと戻って、そもそも集団的自衛権って何だったんだろう、個別的自衛権って何だったんだろう、と考えていかないと実態とまるで合わないんじゃないかと。そう考えた場合に興味深いのですが、実はこの間、自公でやった何要件といった話というのは、「個別的自衛権という名の集団的自衛権だ」と言われたりもしているんですよ。

K;そうですね。

A;それはどういったことかと言ったら、自分が攻められると同じような状況があるという、そういう実態が前提となっている訳ですよね。それを外して考えるということ自体がおかしなことなんで、元にもうちょっと戻った方が良いという気がしたんですね。

K;そうですね。大雑把に言うと、私の理解では、なぜ国際連合が出来たのかというと、当時の戦勝国の脳裏にあったのは、やはりナチス・ドイツの膨張と侵略をそこまで許してしまった戦前の体制というのが頭にあったと思うんですね。あのドイツの膨張と侵略に対して、イギリスもアメリカもフランスもほとんど指を咥えて傍観していたというのが、あの当時の特に緒戦における状況じゃないでしょうか?フランスはもう攻め入られた瞬間に皆政治家たちはナチスになびいてしまって傀儡政権ができるという情けない状況だった訳ですし、最後、イギリスが踏ん張ってチャーチル首相になったときにやっと攻勢に出ましたけれど、チェンバレン政権のときには宥和政策です。ですから、戦後、国際連合が出来たときにはナチスの様な国家の台頭が再びあったときにそれをどう防ぐか、という発想が間違いなくあったんだろうと思います。それが第二次世界大戦のときの戦勝国の歴史の教訓ですね。ところが同じ戦争から日本が学んだ教訓というのが全く違ったもので、もうあんな悲惨な戦争は嫌なんだ、国民の総意として。肉親も戦争で失うとか、もうあんな辛い思いは二度としたくないというのが1945年の日本国民の偽らざる想いであった。じゃあ、二度と戦争をしないためにどうするかということで、実際には駐留米軍が創った憲法を日本国憲法として制定しながら、そこで武力の行使は禁止すると。そこが日本にとっての戦後のスタートだった訳だったんですよね。だから戦勝国にとっての戦後のスタートにおける認識と、日本における戦後のスタートの認識とは、ある意味、全く別のもの、真逆のものだったんだろうと私は思うんです。
 で、そうすると、この集団的自衛権の論議をしていくときに、戦後世界の中では絶えずナチスの様な侵略行為、ホロコーストのようなものを防ぐために国際社会が何をなすべきかという認識がある一方で、日本にとっては、逆に、いかに侵略戦争に荷担しない日本という国家を維持し目指すかのという認識が国民の中にある訳ですよね。戦後60年近く経って国際情勢が変化し尖閣を巡るこういった状況が生まれて来て、中国という、周辺諸国を併合せずにかつての第一次大戦前後のドイツと同じように経済力で勃興してくる国がアジアに現れて、それが日本との間で領土を巡る認識の相違を生じはじめて、では日本がどう対峙していったら良いのかというのが、我々の国が措かれている現状だと思いますね。そもそも国連憲章で規定している集団安全保障とか集団的自衛権という概念が戦後日本に馴染まなかったのは、それぞれの国の歴史の来し方を振り返ると私は当たり前だと思うんですね。我々政治家は、現状を見据えどう対応していくかという視点が不可欠ですので、国連憲章や歴史の教訓を学びつつ、何をしていくべきかな、というのが私のものの見方になっていますね。ちょっと漠然とした話で申し訳ないですけど。
 それで、ポールさんにお尋ねをしたいんですが、先ほど仰ったアメリカにとっては個別的自衛権も集団的自衛権もないとのお話しはそのとおりですね。それで、かねてポールさんとお話していますと、憲法上の自衛隊の最高責任者としての内閣総理大臣と、集団的自衛権の行使が仮に可能となった場合の内閣総理大臣というのは、全く行政上は別の存在なんだというお話しを以前に聞いたことがあるんですが、それに対して詳しいお話しを頂けますか?

P;行政上、別の存在なんだと申し上げましたか?というよりはむしろ、権限の大きさが全く別のレベルに変わる、という趣旨のことを申し上げたかもしれません。

K;そこら辺は言葉の綾で、正確に仰って頂ければ。

P;基本的には現行憲法上には、軍を動かす権限というのは全くどこにも書いていない訳であって、今その問題を議論する場合は、それは憲法上の問題ではなくて、憲法の下あるいは外での隠れた部分での議論に過ぎないですね。しかし、他方において、昭和29年に出来た自衛隊法の中にははっきりと、「最高指揮権は内閣総理大臣に属する」とあるんですね。ですから、自衛隊法の方がずっと先行している訳ですよ。

K;そうですね。

P;しかし、自衛隊法の方は憲法の議論に直接現れませんので、今までそのように議論されることもなかったし、今回もだから、それが議論されることもなかったんですね。ただ、安部さんは勿論、自衛隊法に内閣総理大臣が、つまり自分がその権限を持っていると書かれていることを前提にして話をしていると思いますね。いずれにしても、憲法に書かれてないことなので、憲法上のこの問題の議論と、憲法の水面下における自衛隊法を中心にした議論とが噛み合っていない。それが現在の日本のこの問題の議論において、必ずしも皆が合意出来る形でうまく議論が進んでいない原因になっているのではないかと思います。そこに大きなギャップがあると思うんですね。

K;そうですね。確かに、その部分は、国会での議論を聴いているとあまり耳にしないですね。

P;逆に言いますと、私は、国会議員の方々がなぜ、自衛隊法にそういうことが書いてあるのに、それを持ち出さなかったのかということが分からない。

K;自衛隊法は昭和29年の制定ですけれども、第7条に「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。」とあって、また、「内閣総理大臣は(中略)国会の承認を得て、自衛隊の全部または一部の出動を命じることができる」とあるわけですね。

P;はい。私は、内閣総理大臣が自衛隊を動かすというあの自衛隊法の条文を読みましてね。あの法律よくできているんですよ。逆に言うとこの安全保障の問題に関しては、憲法よりもよっぽど良くできている。

K;そうですか。

P;憲法には安全保障の条項がないですからね。日本では。

K;そうですね。ないですね。

P;憲法に安全保障の条項がないことを補っているのが自衛隊法で。実はあの自衛隊法に私は非常に感心しました。比較的最近ですが、自衛隊法を自分でよく読んで、赤線を引っ張りながらですね。あれはですね、アメリカかどこかの軍事大国の関連法案をよく勉強して、そこから引き直して、それで創ったものだと思いますね。非常にスタンダードな、あれはあのまんまで他の国に持って行っても通用する法律ですね。

K:ああそうですか。昭和29年当時の法律ですから、当時の内閣法制局が相当知恵を絞って創ったんでしょうね。

P;実際に日本として自衛隊の存在を現実として必要とすることが明らかになった段階ですよね。

A;よろしいですか。ここ風間先生とずいぶんやってきたところに直接関わってきて、すごく特殊な条文なんですよ。この「代表して」というやつがポイントなんですね。この「代表して」というのが、ただ代表してだけだと、つまり、指揮権は内閣総理大臣は実は持っていないに近いと読まれてしまうんです。内閣法にこうあるんですよ。内閣法5条に「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、(中略)国会に報告する。」という。これ、ただ内閣で全部決めてしまって、それを国会に対して、この人たちを代表してお話ししているだけだという。何か、全然権限があるわけではないよ、と。そんなふうに考えられてちゃってるんです。だから、ここはすごく問題になって、おそらく今度の集団的自衛権を入れたときにですね、じゃあ、誰が本当の責任者なんだ、内閣総理大臣は本当に決定できるんですかという話にまた戻ってくるのかなあと思います。

P;そこですね、私がこのような対談をおこなうと聴いて、私自身の関心が非常に高まったのは。そこが日本国憲法とまともに絡んでいるところだと思うんですよ。どうして「内閣を代表して」と入れるのかというと、結局は、憲法においては、行政権は内閣総理大臣ではなくて内閣にありますね。内閣という集団にある。その中で代表するのはあくまで内閣総理大臣にあるのだけれど、行政権はあくまで集団にあるんですよ。そうすると、自衛隊法でもって、憲法の行政権をそのまま自衛隊法に適用した場合、「最高指揮権は内閣にある」としないと、これ、合致しないんです。しかし、そういう国はないね(笑)。内閣にないなら誰にあるのか。だいたい個人にある。行政のトップに立った人が軍を動かす訳ですよ。それが非常に自然なんですね。ところが日本の場合には、憲法が、内閣という集団に行政権があるとしているから、自衛隊法でも「内閣を代表して」という文面を入れないと、この権限だけは内閣総理大臣という個人が持つということになってしまう。憲法との矛盾を避けるために、自衛隊法にも「内閣を代表して」という配慮をしているんだと、こういう直感をしたんです。

K;日本の法体系は憲法72条に始まって、内閣法から内閣設置法から全て、内閣を代表しないと総理は何もできない。そういう体系となっています。ですから、今回のように集団的自衛権を行使可能にするのであれば、そして総理が自衛隊の指揮権を個人として有するのであれば、実は日本の法体系の大転換をしなければいけないんですね。

P;そうです。逆に言えば、憲法のその部分を改正しないと駄目なんです。

K;そうですね。これしないと大変なことになります。戦前のまた二の舞になりますね。結局、誰に責任があるのか、どこに責任があって、ああいう敗戦に突き進んでいったのか所在がわからないという二の舞になりますね。

A;この「代表して」と言う前に、「閣議にかけて」というのがあるんですね。閣議にかけて全会一致で内閣で意思決定したから内閣総理大臣が代表して、という流れになってきちゃって。ところが、閣議というのは内閣法のここにしかなくて、憲法にないんですよ。閣議自体が。それがポールさんが言われているのと直結する話だと思います。

K;この「内閣を代表して」と言う部分は、これまでも国会でずいぶん議論がおこなわれてきまして、お手元のペーパーがそうなんですけど、72条の読み方というのが、上の段と下の段とで、それぞれ2つ可能なんですね。上の段は総理が内閣を代表して①議案を国会に提出する、②国民及び外交関係について議会に報告する、③行政各部を指揮監督する、という読み方ですね。すべてにわたり、総理は行政権をもつ内閣を代表するんだという読み方。下の方は、総理が①内閣を代表して議案を国会に提出して云々、②並びに行政各部を指揮監督する、という読み方。つまり②では総理が内閣を代表せず、総理として行政各部を直接指揮できるということ。どちらが正しいんだ、という国会質疑で法制局の答弁は、これ一貫してですね、上の方ですね。総理大臣個人には各省指揮監督する権限がないんだというのが、官僚の言いたいことなんですね。裏を返すと、そこは官僚が個別の裁量権を持ちたいので、総理大臣には触らせないよという意思表示でもある訳です。

P;なるほど。

K;この点は面白い指摘がありまして、今年だったかな、参議院の統治機構調査会で成田憲彦さんという国会図書館の元課長さんで、細川政権で首相秘書官をされた方ですけども、この方に私がこの部分をどう思いますかと質問したら、成田さん曰く、戦後日本国憲法が出来て内閣法がそれに伴って変わったときに、内閣法の改正原案を政府の役人がGHQへ持って行ったと。で、これはどうでしょうかと。そうしたらGHQ曰く、自分たちが憲法72条で想定したのは、こういう内閣法じゃないよと言った、と言うんですね。GHQは飽くまでも、この下の方、総理大臣が各省の指揮監督権限を持っているんだという意図で憲法を書いたにもかかわらず、日本の官僚たちが篩骨奪胎したのが真相に近いかもしれないです。

P;GHQは下の方を支持しているというのはアメリカ的なんですね。やっぱりね。アメリカでは行政権というのは大統領という一個人に集約的に、まあ象徴的にかもしれませんが集約的に存する訳ですよ。ですから、そういう解釈ですわね。しかし、その前に、第65条の行政権はやっぱり内閣です。内閣総理大臣――本当にここは大事なところであって――内閣総理大臣とは全く書いてないですよね。ですから、私のこの日本国憲法の解釈、行政権の解釈に関しては、日本は完全に集団に行政権があって、純粋にこれを解釈した場合には、内閣総理大臣には行政の権限というのはほとんどないと言ってもよいくらいですね。

K;ですから、この集団的自衛権の問題というのは日本の法体系上、大きな転機かもしれませんね。これからの議論でどの方向へ行くのかわかりませんけど、あくまでもこの集団的自衛権を行使可能とするのであれば、これ、総理個人が自衛隊の指揮官にならざるを得ないので、自衛隊法も変わってきますし、そうすると憲法も変わってこざるを得ないと思いますね。

A;これで、下の方で行くと、内閣総理大臣は行政各部を指揮監督する、と直でいくわけですよね。すると自衛隊を指揮監督すると直でいくわけですよね。素直でいいんですけど、そうするためには内閣法の「閣議にかけて」を削らなければいけない。それはそれですっきりするんですが、それは先ほどポールさんが言われた内閣に行政権があることとものすごくズレてしまって。つまり、内閣法上は、内閣総理大臣が行政各部を指揮監督する、自衛隊法もそれに合わせて内閣総理大臣が自衛隊の指揮権を有すると単純にすればすっきりするんですけれど、そうしちゃうと、内閣総理大臣ひとりに権限があるということになってしまいます。ところが、憲法が全くそういう仕組みになっていませんので、ものすごくズレちゃって。結局のところ、集団的自衛権を本当にちゃんと動かすようにするためには、憲法とどんどんズレていくことになる。

K;ですよね。

P;そうなんです。

K;国会では、この憲法とどんどんズレていくということが、全く気づかれていない。

P;憲法第9条を改正するのは、憲法9条だけの改正では収まらない。それだけでは全くの欠陥改正になる。もちろん9条の改正の文面にもよりますけどね。はっきりと軍の存在を認めて、それを行使する条件というか、どういう場合に行使できるかを総括的に条文化していくことになりますね。そうすると必ず入らなければならないのはやっぱり最高指揮権です。そこで、最高指揮権の文面を9条の改正条項の中に入れるか、あるいは第73条の内閣の権限の中にそれを入れるかの、そのどちらかにする必要があるわけです。ところが、第73条にあるのは内閣総理大臣の権限ではなくて内閣の権限ですよね。その内閣の職権の中の1番目か2番目ぐらいに「内閣が軍の最高指揮権を持っている」と入れなければならない訳です。
いずれにしても、第9条を改正して、それで正式に軍を持ち、誰かがそれを指揮することを憲法上に記載するということになると、この指揮権の問題――指揮権というのは行政権の最重要な部分のひとつですね――に言及せざるを得なくて、それで行政権の他のところとまともに絡んでくる訳ですね。すなわち他のところも変えなくてはならくなってくる訳ですよ。そうすると非常に難しくなってくる。簡単ではないということです。

K;そう考えてきますと、やはり集団的自衛権の解釈を閣議決定で変えてしまうというやり方自体が、そうとう乱暴であるということが浮かび上がってくると思うんですね。国会でさえ、自衛隊法と憲法との関係まで言及した議論がほとんどなかったですから。これは、我々がこの座談会で気づき、得た大きな視点で有ると思います。今年の通常国会で私は、集団的自衛権の解釈を変更するなら、9条の改正が必要になると。改正規定に則った手順を踏むことが必要になると強く言ったんですけれども。その上で、根本的な想いとして実はこういう考えがあります。それは日本国憲法の根本原理は何かということ。我々学校で習うのは3つの原理である。一つは、国民主権であり、もう一つは、9条に象徴される平和主義、そして三番目は、人権尊重。それはそのとおり。その中で最も根本的なのは、国民主権だろうと思うんですね。では国民主権って何か。国家として枢要な意思決定、全ての意思決定というのは国民の判断に帰す。それが国民主権なんです。

P;言葉を換えれば、民主主義ですね。日本では国民主権という言葉が盛んに使われますけれど、それは天皇主権に対峙する言葉なんですね。欧米の近代国家におけるこの概念は、通常は国民主権とは言わずに民主主義と言います。国民主権というのは英語で何というのでしょうかね。英語が存在しないように思います。だからアメリカではほとんど聞いた事がありません。

K;確かに、ピンとこないかもしれないですね。ぱっと国民主権と言われて何かな、と。なるほど、天皇主権に対する言葉なのですね、これは。

P;そうです。日本では民主主義よりはその方が分かりやすいのだと思います。国民主権――天皇主権じゃなくて国民主権だ――と。しかし、近代欧米国家の伝統としては、君主主義に対する民主主義なんですよ。そういう言葉遣いの違いがあるんです。でも、同じことを言っている。現在は民主主義国になっている近代欧米国家のほとんどは、君主国家から民主国家へ転換した。それが近代の歴史なんですね。
君主主義に代わって民主主義をどうするかという場合に、憲法を創った。憲法を創るというのはどういうことかというと、民主主義を憲法という言葉によって制度上、自然にこういう形でもって政治を行っていけば民主主義が恒常的に続くという、その骨組みを作っているのが憲法なんですね。理想的に言えばですがね。アメリカの憲法というのは、まさにそれの純粋な形ですね。それで、政治の権限というのは、基本的に3つしかないですね。一つはまず、法治国家ですから、法を創るという権限。二番目は、その創った法を施行するという権限、つまり行政権ですね。もう一つは、法律に基づいて色んな成否を判断するという、法律を解釈してそれによって色んな判断するという司法権ですね。この3つしかなくて、その3つの権限をそれぞれ如何に国民主権によって、すなわち民主的に確立するかということ、強い民主的制度に確立するにはどうしたら良いかというところに、憲法の書き方の一番の工夫が出てくるわけですよ。
それで日本の場合にも、基本的にはこの日本国憲法の構成というのはよくできている。特に国会と司法に関しては基本的に悪くないんですよ。国会の細かい所はいくつか問題はあり不足しているところもあるのですけれど、私はあまり変える必要はないと思っています。国会の持っている権限などは非常にスタンダードなものでおかしくないですもの。
内閣の行政権に関しても、内閣の権限なんかもこれ非常にスタンダードなものです。外交の権限とか、法律を誠実に執行する。まさにそのとおりでこれはスタンダードです。ところが日本の場合には、その行政権を持っているのが「内閣」という集団であるということですね。その集団がどういうふうに決まるかというと、総理大臣が内閣を形成するんですよね。その総理大臣がどういうふうに決まるかというと、国会が決めている。そこがですね。アメリカみたいに非常に純粋に、行政権を国民の意思によって、つまり独立の選挙によって決定するというのと根本的に違う。アメリカは大統領制ですね。行政の長を国民の選挙によって決めるというのが民主主義の理想的な形だとすると、立法府の国会が国会議員の中から互選で行政府の長を決める日本は特殊であり、民主主義の観点からするとある意味では不十分な制度なんです。だから、日本国憲法と言うのは基本的には悪くないんですが、しかしアメリカ的に、憲法によって民主主義を形造るという観点からすると不十分なところがあるという、そういう憲法であるのです。

K;明治憲法は伊藤博文が創ったわけですけど、内閣総理大臣は同輩中の主席であると。で、敗戦によってGHQが今の憲法を創って、さすがに議院内閣制という骨格そのものを壊すのは忍びなかったんでしょうかね、ただ天皇主権を国民主権に変えて、議院内閣制の骨格はそのままにしたという。ですから、その過程でポールさんが仰るように、行政権が内閣総理大臣個人ではなくて、内閣という組織に属するという戦前の骨格は残された訳ですよね。

P;それから天皇を残しましたね。

K;そうですね。

P;それが非常に微妙なところであって、戦前の明治憲法では主権は何から何まで全て天皇に属していましたからね。ですから、天皇制という戦前の日本は完全な君主国。それに対して、今の日本国憲法というのは基本的には民主主義国を創っているわけですよ。しかし、天皇の存在は残した。国民主権という言葉は都合がよい言葉かもしれません。天皇主権から国民主権へ変えても、天皇そのものを排除する必要はありませんからね。国民が主権を持っているけども、天皇は廃止する必要がない。だから、天皇の地位を守るのに非常に上手い言い方だったんですね。私が繰り返し感じるのは、戦後の日本国憲法を創る過程で、最初から最後の段階まで何に最も腐心したかというと、やはり、如何に天皇を残すかということだったと思います。それに力を入れたということをひしひしと感じますよ。

K;仰るとおりですね。これはマッカーサーと天皇との会談が合計11回行われています。そこで日本側が最も腐心したのもその部分ですね。

P;この憲法が出来る前に、いろいろな改正案が日本側から出されましたよね。そのほとんどは採用されなかったんですけど。しかしその中に高野岩三郎さんなどの民間人が作った憲法研究会が発表した「憲法草案要綱」というのあって、それを読むとやはりこれがGHQにも好かれて現在の日本国憲法の骨組みを形成したらしいことがわかるんですね。昨年、荒井さんにその資料をいただいたんですけど。高野岩三郎さんの個人のではなくて、研究会が発表した方のやつですね。あれがひな形になっていますね。
ところで、政府の「松本試案」なども含めてそれ以外の憲法改正草案が5~6個あったんですが、それらは全て天皇制をそのままを残しているんですね。天皇制を温存したままで、その範囲内で民主化をもっと進めるという改正案で、それらはすべてGHQに頭から拒否されました。つまり、憲法改正をしようとしたんだけれども、それを考えた人の90パーセントは天皇制を変えたくなかったという感じですね。それだけ天皇制へのこだわりが強かったと思います。だから、出来上がった日本国憲法にも天皇が国の象徴として残ったのは当然であったかもしれません。

(ここで少しブレイク)

A;とても面白い議論だなあと。

K;いつも話が弾むんです。

A;視点が全然違いますからね。

P;私は憲法の素人ですからね、だから憲法の細かいことはあまり知らないし、あんまり知りたくないんです。その細かい議論に捕まっちゃうと、本論から外れちゃうから。

A;本当にそれが今の憲法学者ですね、日本の。

P;悪いけれど本当にそうですね。

A;馬鹿馬鹿しくなって、私は嫌になります。

P;私は強調したいことがあるんです。憲法には、死んだ憲法と生きた憲法とがあるんですよ。悪いけれども、憲法学者が通常創るのに限って死んだ憲法なんですよ。本当に生きたこれからの憲法、これからの国をずっと率いてゆける、あるいは形成してゆける憲法というのは、実は学者よりは政治家が創らないといけない。それから、そういう精神を持った知識人が、―― 私もその一人だと思うんだけれども ―― 憲法を書くべきだと思う。しかし憲法学者にも役割があります。それは政治家とか、生きた憲法を創る人が大枠を創りあげて、しかし、憲法の条項の相関関係などテクニカルな面がいろいろありますから、この辺はやはり憲法学者が上手だと思うんです。その辺を整理してもらうのは憲法学者だと思う。しかし、憲法学者は生きた憲法を書くのに向いていないと思います。

K;ですね。

P;だから私は風間議員に繰り返し繰り返し言っているんですが、政治家ですよと。政治家が自分で創るんですよと。本当に繰り返し何回言ってもよい。憲法は政治家が創るんです。頑張って頂いてですね。

K;今日のところの中間結論は、我々で新憲法起草委員会を創りましょうということですね(笑)。ありがとうございました。じゃあ、今日はここまでとさせて頂いて、また明日9時45分によろしくお願いいたします。

第2 後半(平成26年11月20日収録)

K;おはようございます。

A;ちょっと、この説明をしていますので。昨日との関係がありますので。

P;昨日頂いた、この「次回対談の論点」というのは、これは荒井さんがお創りになったんですか?

A;そうです。ただポールさんのこれを読んでやっていたのではなくて、風間先生からそういう話を聞いたんで。

P;これは非常に素晴らしい。

A;ありがとうございます(笑)。

P;これは私が言っていること、やろうとしていることを非常に的確にまとめておられて、しかも、隠さずに、ストレートに書いてある。素晴らしいね。短いけれど非常に要点をついたものです。この「次回対談の論点」と書いてあるんだけれど、それに対して今朝、箇条書きだけど、私もこういうふうに書いてきました。

A;これを、私、読んだんですけど、全く同感ですね。今やっている憲法審査会のさらに先を行って、これをにらまないとちゃんとした議論は出来ないという感じがします。

K;なるほど。

P;それから私が創った対談の流れみたいなものとは別にですね、これも箇条書きだけれども、ちょっと打ったんですけどね。

K;今のは、行政監視研究会でお話して頂く予定だった集団的自衛権の行使についてですね。

P;それから風間さんにですが、私が創った流れの中の最後の方に、私の意見を入れるべきところがあったので、括弧書きで入れておきましたからね。

K;分かりました。ありがとうございます。

P;風間さんは、ご自分で相当加筆された後、私への意見を聞いておられるんですね。それから去年ですね、これは、あの、荒井さん、これを手にされました?

A;いえ、私、頂いていないです。

P;これ大事なんですよ。これ、去年、風間議員の主催で憲法審査会の有志議員に話をした時に配った小論です。今年4月にリバイズもしたんですよ。リバイズしたのは、荒井さんに頂いた高野岩三郎さんの憲法改正草稿資料がきっかけで、あそこのところやっぱり大事だから、そこだけは入れてなければいけないと思ってやったんです。

A;そうなんですか。

P;それ以外は去年と同じなんですけれどね。これ是非読んでください。

A;ありがとうございます。それで、ちょっとこれ(荒井達夫「『非常事態と憲法』参考資料」参議院憲法審査会事務局、平成24年?)、説明させてもらってよろしいですか?

K;どうぞ。

A;昨日の話とものすごく関係のあることで、これから憲法審査会で重大な問題になるところなんで。

P;はい。非常事態ね。

A;ええ、そういうような話なんですけれども。付箋してあるところなんですね。まず、27頁。で、災害対策基本法っていうのがあって、非常緊急事態を生じたときに、緊急措置というのを執るんですね。それで、それを国会承認または法律制定した後に政令を執行という流れなんですけれども、この仕組みはとても珍しくて、他にないのですね。非常事態だからこういう仕組みをとっていまして、そこで問題となるのは、内閣総理大臣が措置を執るということになっているんですね、この真ん中あたりの106条というところで。「内閣総理大臣は」何々何々っと出て来るんですけれど、要は、昨日ずっとお話ししていた内閣総理大臣の権限と内閣の関係、閣議の関係というのがここで問題となっている。それが上手く議論されてないというか、問題が解消されていないがために実はこれ、使われていない。それで、53頁をちょっと観て頂きまして。付箋つけて措きました。

K;これは現行の規定ですか?

A;109条、現行の規定です、はい。それで、ここは緊急事態基本法というのが自公民の合意ですね。平成16年5月20日。これほったらかしのままになっていて、それで、忘れかけてきてます。

K;そうですね。

A;でも、ここで重要なことが書かれています。この骨子は良く出来ているんですね。それで、これ5番目に、内閣総理大臣の権限が書かれていて、ここに「閣議との関係を確認する」とあります。要は、非常事態を生じたときに、閣議を一々やらなくてはいけないだとか、反対されたらどうするのだとか、内閣総理大臣が自分でどんどんやっちゃっていいのかとか、とういうような話、そこのところを整理しなきゃいけないという、重要な議論です。そこで、75頁をちょっと観て下さい。これは、憲法審査会で、公明の矢倉(克夫)議員が今までずっと風間先生なり、他の公明の先生なり、西田先生なり、末松先生なり、皆で議論してきたものをまとめて発言してくれたんですね。それの中に出てくるものなんですけれど、通常時と非常時の法制っていうのをきちんとリンクしておかなきゃいけないと。継ぎ目がないようにやっておかないといけないよと。で、日本の場合は、官僚機構がものすごく強くて、官僚支配がおきてしまっていると。通常時の姿はそうなってしまっている。で、そこで委任立法というものがすごく大きくなって、国会が関与出来なくなってしまっているということなんですね。官僚側が好き勝手にやっている。それを国会が統制しないといけない。そこに議会拒否権という考え方が出てくるわけです。
同じような状況で、非常時がどうなるかといったら、非常権限を与えなきゃいけなくて、これが委任政令という委任立法となります。先ほどの災害対策基本法の109条がそれなんですけれど、そのときには強烈な人権制約がおきるので、これを上手く統制していかなきゃいけないけど、ここでもまた議会拒否権というのが問題になるということなんですね。これが、これから憲法審査会の中で大きな問題になるということ、田中(祥貴)先生が研究されているものです。それで、昨日のお話からの続きからすると、内閣総理大臣にちゃんとした権限を与えないと非常事態に対応できないという問題が出てくると。これを議論していくと、やっぱり私はポールさんの考えに行き着くんじゃないかと思います。大総理制とか大統領制とかに行き着けばですね、行政監視や官僚機構の統制が問題でなくなってしまうと、ポールさんから2年前に指摘されて私は眼が覚めたんですけど、そこにつながってくるのかな、と思います。それで、最後の三行です。「今回の審査会では、非常事態の対応に関して内閣機能や二院制に言及する発言があったが、今後はこれらと行政監視機能との関係について議論を深めるべき」だ、というふうに私は書きました。日本の場合は、行政監視というものをきちんとやっていかないと官僚機構の統制が出来ないので、結果的には、集団的自衛権なんかも、おかしくなってしまうと。非常事態への対応もできなくなってしまう。こういうことなんですが、それを本当に解消していくためにはどうするかというと、ポールさんが言われている大総理制というものに行き着くんじゃないかなと、今、思っています。これを読めば、ますますそういう感じがします。ちょっと、その話をしようと思って参りました。

P;ついでに、今お渡ししたこの次回対談の論点というので、箇条書きしたものですけど、私の一つ一つに関するポイントですね。集団的自衛権に関する閣議決定については、私はあまり詳しくない、あまり内容は知らないんですけれども、しかし、基本的にですね、現行憲法では、あそこまで出来ないんはずなんですね。違反すると。それから、権限の所属先、要するに、誰が行使するか、その議論が全く欠けている、それが大きな問題だと。日本の統治機構は何が問題だと、で、結局は、この行政首長がやっぱり国民の選挙によって選ばれていないということがあらゆる行政権に絡んでくると私は思いますね。
で、強い内閣と強い国会にするために何をすべきか。まあ、「強い」の意味によって、定義によって大分違ってくるかと思いますけれど、私は民主主義の観点から、内閣を民主的に強めるためには、やっぱり絶対にその長となる大総理・大総領を国民の選挙で選ばなければならない、そうすることによって、それが本当の意味で行政権を「民主的に」強化することになると思いますね。で、国会に関してはですね、政府を監視する機能をもっと明確化すべきだろうと。例えばですね。政府高官の指名承認というのは、日本にはないですね。アメリカでは、上院が、大統領の指名した政府高官や連邦判事の候補を指名承認する権限を持っていて、そこでスクリー二ングをした上で、皆、政府高官、あるいは、連邦判事、あるいは、大使になるんですね。したがって、この前の小渕(優子)さん(前経済産業大臣)のように、ああいう問題で政府高官が辞任することは全くないんです。議会が事前に全部スクリーンするんです。最近ロレッタ・リンチという次期司法長官候補が指名されましたが、どんな人が指名されても、その後少なくとも一ヶ月くらいは議会上院の所管の委員会が中心になって、もう色んな問題、仕事で不正をした事がなかったかどうかは勿論、今までどんなお金を使っただとか、どんな映画を観たかだとか、もう、過去の仕事から私生活の中までありとあらゆることを調べ上げるんです。全部スクリーンにかけて、それに全部パスした段階ではじめて、本人を呼んで指名承認のための公聴会を開いて、委員会で候補を推薦して、そして最後に本会議で指名承認するんですね。高官になる前に徹底的にスクリーンにかけられるから、仕事を始めた後でああいうみっともない辞任をする人はいないですね。勿論辞任はありますよ。しかしそれはやっぱり政策の失敗だとか、政権とそりが合わないとか、他の理由ですよ。日本でも本来なら、そういう行政を監視するという機能というのは、国会しか果せないです。
民主主義と天皇制との関係については、あの、荒井さん、この序を書かれておりましたけれども、天皇の象徴性を徹底して、天皇の役割は文化だけに限ると。私はそこにくっつけたんですけれど、ひとつは国会が天皇の地位を保証する。天皇は象徴として動かさないということを国会が責任をもってやっぱり保証すると良いですよ。しかしそれと同時にですね、天皇が国政に関与するというような越権をすることがないようにするために監視機能も国会に持たせたらどうかと。そこで、そのために国会内に特別委員会を設置したらどうかと。アメリカではSelect Committee On ....なんとか、というのがあるんですね。特別委員会ですね。常時議論しているんじゃなくて、必要に応じて問題が出た段階で審議する、その受け皿としてそういう委員会がある。例えば皇室問題特別委員会というのを設置しておいて、天皇の地位を保証するということと、天皇の役割に越権がないかどうかも監視する。そんなようなことをやったらどうかな、と。これも、そういうことができるのは国会だけだと思うんですよ。
 それから自民党改憲案をどうする。これはご指摘のものもありますけれども、天皇を元首にし、総理に戒厳令を発令できるような権限を与える。これは明治憲法の方向への逆戻りです。自民党改憲案は王政復古への方向を向いていて、非常に問題が大きいと思いますね。

K;ちょっと感じたんですが、この皇室問題の特別委員会を国会に創ることが非常に大事なことであると思いました。天皇の地位保証。憲法文化的象徴というに変えて天皇の地位を変更するのであれば、地位保証というのは大変重要でしょうし、一方で、この役割の監視機能というのは日本人がほとんど意識していないわけですが、これは歴史的に観れば重要でして、特に敗戦後、昭和天皇が、たぶん敗戦後10年から15年くらいですかね。明治憲法時代の天皇に匹敵する権限を日本国憲法下で行使されたという研究がありますので。その下で、日米安保条約が決まり、日米地位協定が決まり、サンフランシスコ講和条約の骨格も決まったという、豊下教授ですか、研究がありますので。当時の芦田首相かな、芦田首相が皇居に参内した後でぼやいたりしているんです。「今上は憲法が変わったことを分かっておられるのか」と。現在の陛下が憲法の儀を超えて色々裁可をされることはないですが、今後のことを踏まえると、この設置は非常に重要な意味を持ってくるんじゃないかと思います。

A;どなたが天皇になっても、こういう制度的にそれを確立するということは非常に大切だと思います。

K;それともう一点ですね、これはご教示頂きたいんですが、行政府の首長が国民の選挙で選ばれていない、この問題なんですが、私がよく分からないのは、国民の選挙で行政府の首長を選ばない国が他にもある訳ですが、それとの対比で、どういうふうに考えたら良いのかと。アメリカの場合は、大統領選で首長を選んでいますけど、イギリスの場合には女王が首長ということですから、首長は当然の国民の直接投票で選んでないと。ドイツの場合ではどうなのか、色んな先進国のケースを比べてですね、日本の議院内閣制が特異だとは言い切れないと思うんですが、その辺の対比をどう考えていけば良いのか、そこら辺をご教示いただけましたら。

P;ご教示というふうにゆくかどうかはわかりませんけれど、先進国の、あるいは中進国であっても、7~8のちょっと目につく国について、この点について調べましたが、これは私の意見ですけれど、むしろアメリカの純粋な民主主義、三権のうちの特に行政権と立法権がそれぞれ別途の選挙で確立され、それで選ばれた大統領がそのまま行政権を行使するという、むしろこれの方が例外的なのですね。というのは、やっぱりほとんどの国はアメリカなんかより歴史が長いですから。例外なく君主制の時代から民主制の時代に変わってきた歴史がありますから、君主が生き残っているわけですよ。その古いしがらみが残っていてその中でもって近代的な民主主義を育てていった関係で、アメリカのようには割り切れないんです。同じことが日本にも言えると思うんです。ですから、むしろアメリカの方が例外的であって、他の多くの国は必ずしもそういう行政首長選挙をやっていません。しかし、例えば、韓国なんかはやっていますが。

K;そうですね。

P;また、大統領選という国民投票をやっていても、名目上の地位だけで行政権を持たない大統領というのは沢山いるんです。その場合には、その下で首相が――色んな形で決めますけれども――首相に相当する人が実際の行政権を持ち、大統領は儀典的な役割しかなさないというのはかなりあるんですね。ですから、他の国も実はそんなに大したことがないことは知っておく必要はあるんです。
しかし私がこれを主張するのは、あくまでも純粋な意味での民主主義というのを徹底していくとどうなるかという観点からです。行政権の長を国民選挙によって決める制度が、日本の将来、日本の政治、日本の国民、日本の政策、ありとあらゆる意味で日本のために良いと思うからです。制度を変えるというよりは、むしろ制度を創設するわけですね、新しいものを生み出すという意味で。私は、他の国を見て、あの国みたいにしたら良いですよとは言っていません。アメリカでさえ、私はアメリカがやっているから真似しないさいとは言ってないですから。そうではなくて、近代民主主義を憲法によって制度的に確立しようという場合に、その一番理想的なのは、行政の長と立法府を別の選挙によって――要するに機能が違うわけですから――選ぶのが筋であるということを申し上げています。で、そう言えばアメリカは純粋にそれに近いことをやっている、ということなんです。

K;よく分かりました。それで、そうしましたら、昨日の流れに戻ろうかと思いますが。

P;どの辺りまで行きましたでしょうか。

K;このペーパーでいきますと、ええっと。

P;途中でかなり脱線しましたからね。

K;ええ。3枚目の表で、この近代民主主義が立法・行政・司法の三権で成り立っているというところまで、昨日いったんですね。このポールさんの、行政府の長も国民が選ぶことにより、行政権は人々の意思をもって直接的に代表権を持つことが出来ることになると。で、チェック・アンド・バランスも満たされると。で、最高指揮権というものは本当に重大で強力な権限なのだから、最高指揮権は国民の意思を反映した人が持つべきで、内閣総理大臣は国民の声をもっと直接反映した人がなるべきだと。この辺りまで行ったと思います。それで、私の方から問題提起をいたしますと、行政首長を国民投票で選ぶとなると大きな変革ですし、とても大きな仕事になります。憲法改正も必要になるわけですし。ですから、日本の国会制度に非常に大きな変化を与えることになるのですが、そこで、どういう変化が出てくるかということを予想してみたんですね。大きく言うと、3点くらいあるかなと思います。
まずは、行政府の長を国民選挙する過程で当然大統領選挙みたいなことをやるわけです。予備選挙を含めてやるわけでしょう、各都道府県で。そうすると、アメリカのように、各都道府県回りながら予備選挙をする過程で、例えば遊説中に多くの国民から、色んな声を聞くと思うんですね。この地域の課題はこうだとか、景気回復するためにはこういう政策をとった方が良いだとか、あるいは、円安になりつつある今、国内に産業を戻すべき政策をとるべきだ、等々。こういう色んな声が行政府の首長を選ぶ選挙の過程で出てきて、国内の課題があぶり出されると思うんです。そうすると、選挙後速やかに必要な政策立案が出来るようになると思うんです。今、総選挙が終わってもですね、総理なり官房長官なりが省庁に指示を出して、おいちょっと今度景気対策をどうするかまとめてこいよ、と。こういうスタイルなんですが。

P;選挙が終わってからですね。

K;選挙が終わってからです。ですから民主党政権であれ自民党政権であれ、あまり代わり映えしない景気対策なんですよ。本当にこの政策で景気を刺激できるの?という疑問がある対策ばかりで。国民選挙なら、国民の声を反映した政策立案が出来るようになるんじゃないのか、というのが一点ですね。

P;ここで、一つのサゼスチョンなんですが、これ非常に重要な指摘なんですが、「行政府の首長を国民選挙にする過程で、国内の課題があぶり出されて」の後にですね、もう一つ入れたら良いですよ。あぶり出されて、「国家政策の骨格が形成されて、」選挙後速やかな必要な政策立案が政治の意思としてなされる可能性が高まる、という具合に。だから、政策を争う、しかも国家政策を正面から争う選挙になるわけです。

K;そうですね。

P;その選挙は今、ないんです。

K;ないんですね。あの、今度の総選挙(註、平成26年12月14日施行)はまさにその最たるもので、私も正直意味わかんないですよ。何の判断をもとめるのか、増税の延期だと、あるいは、アベノミクスの成否だと官邸から言われていますけれども、増税の延期についての判断を求めるのであれば、常に景気動向条項というのが今の法律の中にありますから、それは国会に対して増税を延期したいんだけど、この景気動向条項を踏まえて延期したいので、その判断を国会でしてほしいと。再びその立法が必要となりますのでね。そう国会に戻すと済む話なんで、総選挙で問う話なのか、と。というか、アベノミクスの成否を問うと言ったって、なんかみっともないですね(笑)。ですから、行政府の長を選挙する過程で、国家政策の骨格が形成されるということはよく分かりますね。

A;(今度の解散は)違憲ではないか、という話もありますね。

K;ああ、そうですか。

A;要するに、明確じゃない理由で解散権を行使する、なんで解散するか分からない解散と風間先生の言われたとおりで、通常解散するときには、国会と喧嘩してるときとかですね。政策が通らないから国民に意思を問うとかあります。今度、意思を問うのか問わないかも分からないですよね。というのは、アベノミクスを一年半延ばして、どんな政治状況だったとしても増税すると言っているんですね。

K;そうですね。

A;だったら選挙をやってもやらなかったとしても同じな訳で、アベノミクスの評価ということが全くナンセンスなんですね。

P;しかも、こんなに短いですね。一週間後に公示をして、それで、その後、一週間二週間で選挙するという。何にも、議論も何にもない。基本的に解散というのはやめた方が良い。例えば、行政庁の長を選ぶような選挙が出来た場合、国会の安定性を考えた場合ですね、解散というのはなくした方がよいと思います。しかし衆議院議員一期4年は長すぎる感じがしますね。だから、奇数で良いなら3年とかね。アメリカの場合2年ですが、2年だと逆に頻繁すぎて、一年しか政治ができないとの批判があるんですけどね。いずれにしても解散はナンセンスだと思う。常に皆がビクビクしながら仕事をしているような感じですね。

K;本当ですね(笑)。

P;政治のあるべき姿とはそういものではないと思うんです。やっぱり政治というのは、長期的な観点に立って国の政策を形成してそれを執行していく機能ですから、何かあるからといってすぐに立法府を解散するというのは、私はナンセンスだと思う。

K;今ほど衆議院議員の地位というのが、そこに近づきつつあるという時代はないと思いますね。小選挙区制になって、頻繁に解散はありますし、選挙になる度に民意が左右に振れて議席が大きく増減しますから。

P;サイクルが短すぎますね。

K;短すぎますね。

P;だから、国民はフィーリングで、感じでもって選ぶだけになるんですね。それでは本当の意味で国の前進がないんです。

K;今、自民党の衆議院議員は294人いますけど、半数は一回生ですよね。これは議席の構成としては異常だと私は思います。半数が一回生ということは、中堅議員の数が少ないということですね。

P;経験者がいない。

K;経験者が少ないということは、これまでの政治に蓄えられた経験が選挙の度に全部清算されてしまうということですから、これは国家にとって大きな損失です。特に、これは外交に影響が出ます。で、ちょっと話を続けますと、根本的な変化の2点目なのですが、国民選挙で誕生する行政府の長は、直接選挙で選ばれますので極めて強力な行政権を持つと。一方で、やはり直接投票で選ばれた議会というのも、強力な行政府を監視する強力なチェック力を本来持ちうるんですね。

P;立法力というのですかね。

K;そうですね。議会の仕組みさえちゃんと機能するものであれば。こうした相互チェックの新しい仕組みを国会にもう一回、作り直す必要があると思うんですよね。今は非常に弱いと思います。国会議員の中にさえも、我々立法府の人間が立法するんだという意識と同時に、行政府をチェックする役割を担っているんだという考えを持った人が少ないんですね。極めて少ないですね。

P;というのは、そのチェックに値するような行政府がないということではないですか。

K;ああ、なるほど。

P;まさにこれ、そういう行政府、あるいは行政府の長が別の選挙で国民のバックを受けた存在であるということになると、そこで初めて国会にも自然にチェックしなければならないという、自然にそういう形になっていくと思いますね。今、そのチェック力が忘れられつつあるような、忘れられているような状態にあるというのは、それに値するような行政府が本当の意味でないような感じがする訳です。

K;この点、荒井さんはいかがですか?

A;私はチェックすべき行政府がないっていうんじゃなくて、政治家をチェックする必要はなくて、官僚機構をチェックする必要があると思うんです、日本の場合には。

P;日本の政治は未だに官僚によって行われていますからね。

A;ええ。そこのところを明確に意識している人はほとんどいない。

K;そこで感じるのはですね、この消費増税をするという議論の中で、議員は自身の身を削る必要があるから議員定数を削減しなきゃいけないという声が国会に出てきて、2年前の総選挙前の党首討論で、野田さんと安倍さんとの間でそれを約束した格好になっているんですね。ただ、これは荒井さんの今のご意見を踏まえると、荒唐無稽だと思っていまして、なんで増税に際して議員が身を削るという論理になっちゃうのだろうと。逆に官僚機構をスリムにして、それをチェックできる議会を創るというのが本筋だと思うんですよね。だから、今、議員定数削減という話は間違えている方向に行っているだろうと思うんですけど、その辺はどうでしょうか?

A;だから、私は行政というのは、組織があって、それに人がいて、フォーマルな形のもとにインフォーマルなものがある。そこにお金が流れて行政が行われる。まず、それをきちんと把握する必要がある。日本の場合に何が問題かというと、組織と人事が、きちんと機能していない。組織はどんどん肥大化するばかりだし、人事の方も、然るべき人が付いていない。キャリア・システムというものですけど。これがおかしいものですから、結局のところ、もらうお金はどんどん使う、で、まずいところには(お金を)流さないことにするという、チェックも何も働かない。要するに既得権維持みたいなものが永遠に続くというそこに問題があるはずなんですね。それを真正面から捉えて議論をしていかないと全然問題は解決していかないと思います。

K;そうですよね。荒井さんと私で、どういう仕組みを国会に創るべきかのたたき台は既に創ってありまして。簡単に言いますと、衆議院と参議院との役割をより明確にしようと。衆議院は、行政府に対する監視のうち、お金ですね。お金の面の監視をやると。参議院は、人事と組織に対する統制をやると。

A;衆議院はどちらかというとお金まわりの監視をということですね。

P;それは良いことですね。アメリカの場合には、役割分担がはっきりしているところとダブっているところがあります。高官・判事の指名承認という人事関係や条約批准などは完全に上院だけの権限です。しかし、財政問題や予算は上下両院が同等に取り組みます。ただし、予算関連法案は原則としてまず下院が先に作ることになっているので、下院の役割が大きいということは言えます。これは下院議員の方が有権者にを直に代表しているためだからだそうですが。

K;その点は、日本の国会でも機能として明確化していくことが、行政府に対する意義あるチェックにつながると言われています。今、国会では議論が混乱している部分があります。衆議院は予算で、参議院は決算という議論は全く本質的でない。

P;ええ、よく分からないですね。

K;お金は一括して衆議院の方で、例えば、何かと問題が指摘されている会計検査院という組織。今のように内閣からも国会からも独立という形ではなく、国会の付属機関にする。すると、非常に強い権限を会計検査院は持ちますから、検査院のOBが各省庁の所管の組織に天下りをし、その見返りに会計検査で手心を加えるということが起きなくなるわけですよ。今それが当たり前に起きてますから。そういう状況を変えなくてはいけないと思いますね。

A;強烈な風間先生の質疑(決算委員会 2014年5月19日)がありましたね。

K;(てれ笑)。

A;後で歴史が変わるかもしれない。

K;この通常国会で、会計検査院に対してその質疑をやったんですが、要は、去年・一昨年の一連の天下りを全部洗いざらいぶつけたんです。検査院に「この人はどういう経緯で天下ったのか」を一件一件聞いたんです。すると、検査院の代表者は全く答えられないんですね。あの質疑は今後も続けますが、今度はNHKの中継入りで、国民の皆さんがご覧になる質疑でやろうかと思います。そうするとインパクトも大きいでしょう。

A;その議論が会計検査院を国会に持ってくるという話につながるんですね。持ってきちゃえば、超党派で会計検査院の人事を観ることになりますので、会計検査院の幹部、院長とかですね、それから検査官ですか、そういう人たちの承認というのも参議院がやれば良いという話につながりますね。

K;そうですね。今、会計検査院の検査官が同意人事になっていますよね。人事への同意不同意も国会がチェックを働かせられる一つの機会です。例えば、今はOBの天下りが慣行化しているけれども、これ見直す考えはあるか、など。そういうチェックは行えます。

A;任命要件が書かれていないんですね。会計検査院は確か。

K;ああ。それは変ですよね。

P;その官僚支配を監視する必要があるんだということに関して、荒井さんが、これ本当によくできていると思うんですけど、これ、3つ目にまさに官僚支配ということを書いていて、十分な選挙期間を経て行政首長を選ぶ大統領制であれば、候補者と選挙民の双方に民主主義教育に重要な機会を提供することが出来ると。これ非常に大事ですが、その後に、「大統領は国民の非常に大きな支持の下に行政首長としてリーダー・シップを果たすことが可能であり、官僚人事を完全に掌握するため」とある。私はそれだけでなく、政策も、結局完全に掌握するようになると思います。選挙の過程でもって政策が決まっていく訳ですからね。そうすると行政の官僚支配というのが起きる余地がなくなると思う。

A;これはポールさんの言っていることですよね。

P;ずっと言ってるんです。それで、3年前くらいだったかな、日本でシンクタンクをもう少し成長させたいとの話しで、ある議員の口利きでシンクタンク系の若い方々を20人くらい集めて下さいました。そういう会を開いて下さいと私がお願いしたわけではないけれども。それで皆さん、色んな事を努力されておられることはよくわかりましたが、私は、今の制度では日本には本当の意味でのアメリカ的なシンクタンクは育ちませんと、悪いけど申し上げました。なぜかと言いますと、日本ではシンクタンクは官僚機構なんだと。ところが、国民に選ばれた大総理がいる場合には、官僚機構というのは、決まった政策を執行していくだけの手足になってゆくんです。アメリカの官僚機構がそうです。そうなった場合には、もう今のような官僚機構は全然なくなって、で、その代わりに、大総理が推進する政策というのは、その素案は誰が創るかというと、それがシンクタンクになるんですよ。だから、シンクタンクが是非とも必要になってくるんです。大きな変化が自然に出てくるんです。

A;今、日本のシンクタンクっていったって、皆、役所の天下り先になってますので。

K;そうですね。さて、それでは最後のポイントです。日本の根幹な制度に変化をもたらす3つ目のポイントですが、行政府の長の国民選挙というものは、国民が本来持つ活力、あるいは、国民が持つ知恵を出していく壮大な過程になると思うんですね。我々、選挙をやっている者はビビッドに感じる機会があるんですけど、例えば、私の選挙区で、親しい有権者というのはしょっちゅう手紙を送ってくれるんですよ。こういう政策はどうですかと、こういうアイディアはどうかと。ほとんどものにならないこともある。でも、やっぱり国民の中にそういう知恵というものがあるんですね。

P;ある、ある、あるんですよ。これは普通に、政治に関係ないレベルでも、例えばビジネスで何人も昼を一緒に食べますとね、皆いろいろ意見を持ってますよ。

K;持っていますよね。

P;しかし、それを表現する選挙がないから、それが政治に反映されないんです。無駄になってしまう。

K;無駄になってしまう。

P;国民の知恵を、そういう今隠れている知恵を全部出さしてですね、それを結集していく。

K;そうですよね。

P;それによって、国全体の厚みのある政策が出来ていくわけですよ。

K;そういえば友人と食事していますと、例えば、集団的自衛権の解釈変更に自分は反対なんだけれども、それをどの様に意思表明したら良いのか分からない、って言う訳ですよ。ああ、それは簡単だよ、と。どこに住んでいるの?って聞くと、例えば、渋谷区とか世田谷区っていったときに、地元の代議士さん、誰か分かるって聞くわけですね。すると、「分からない」とみんな言うので、地元から出ている代議士、特に与党の代議士にFAXかメールであなたの考えを送ると良いよ、と。もし出来れば、あなたと同じ考えの友人3くらい集めて連名で送るとより効果ある、と。議員というのは自分の選挙区の有権者の意見には反応せざるを得ないから、これが一番効果的だというと、皆、目から鱗を落としたような顔をして「えっ、そうなんだ」と言うんですね。そういう政治参画という方法というのが、実は日本ではあんまりよく理解されていなくて、これは学校教育だと思うんですけど、問題は。大事なのは、そういう国民の知恵を出していく壮大な過程に行政府の長の選挙はなりますから。

P;それを制度化するわけですね。

K;そのとおりです。その過程を通して、公論を興して活発な議論を交わして、それが収斂していくことで、大きな大きな国力の形成につながる可能性があるんです。実はこの部分が、日本ではほとんど意識されてないんだと思います。以前、ポールさんに来て頂いて国会内で勉強会を開いて頂いたときでも、なぜ行政府の長の選挙をすることが国力の増加につながるかということに関して、参加した議員の皆さん、ピンと来ていなかったんですね。それは、国民そのものの中に、大きな力が潜在的にあるということに気づいていないからだと思うんです。それを引き出す過程を創ることによって、どれだけ国家としてより大きなパワーを持つことになるのか。それを我々はもう一回理解することが大事ではないかと思いますね。

P;仰るとおりですね。今、本当に国民というのは、そのためにこれだけ教育をしてきている訳ですから。国民みんなが意見を持っている訳ですよ。しかし、それを公に活かすメカニズムがないんです。だから全部無駄になっていますね。実際には、国民には知恵があるんですよ。この知恵を結集していくことによって、国力が強くなっていくんです。だから、アメリカは問題を抱えていますけれども、それだけは常にやっているね。だから、ああいう国は倒れないですもの。

K;そこがアメリカの強さですよね。

P;そう。制度的にですよ、そういうメカニズムを創っているんですね。

K;私は建国の父たちが偉大だったのは、まさにそこだと思いますね。合衆国憲法を創って国民の活力や知恵を引き出す仕組みを憲法の中にビルド・インしたというのが、彼らの最大の功績なんじゃないでしょうか。

P;仰るとおりです。

K;これから、私たちがやりたい、やろうとしているのは、まさにそこですよね。日本で憲法の中身というものをもう一回考え直して、そのきっかけとなったのは集団的自衛権の解釈変更だったりする訳ですけど、より国民の力を引き出すための憲法にするにはどうしたら良いのかが、発想の根本にあるべきじゃないかと思います。

P;集団的自衛権、それはある意味では、システムそのものを反省する良いきっかけとなっていると思う。それを上手くそういう形に持って行けば、つまり私たちが議論しているふうに持っていけばですが。非常に良いチャンスなんですね。これだけではないですけど。今のご説明とご指摘はそのとおりです。そこで、行政首長である総理を国民選挙で選ぶ制度を創設する、「新しく創る」。これを、変えたり、廃止すると言ったらネガティブになっちゃう。私はこれを繰り返し言っているんですが、制度を「新しく創る」んです。今までの制度を潰すんではなく、新しいものを加えるのだ、というポジティブな発想で。そうすれば日本の政治を抜本的に刷新していくことが出来る。あらゆる意味で。一つの制度改革だけでこれだけ大きなインパクトを与えられるものは他にないんです。15年以上考えてきて、私、色々他の可能性も考えました。しかしこれほどインパクトがあるのは一つもないんですよ。まさに筆一振りでもってして国を変える力を持っている考えですよ。

K;日本で行政長を選挙で選ぶという大統領制みたいなことをやる場合、果たしてそれが実現可能なのかという議論がこれまでもあったと思うのですね。歴史的には中曽根(康弘)さんが首相公選制というものを掲げて、まあ、あの方が、なかなか行動的なのはご自分でその標語を書いた柱を作って、全国それを建てて回ったという。昭和20年代ですけれどね。非常にエネルギッシュな行動だったと思うんですけど。ただ、天皇制との兼ね合いもあって、元首が誰かという議論も出てきてしまうので、なかなか日本ではこの議論が盛り上がらなかったという経緯があると思います。その辺りはどのようにお考えですか?

P;私は(行政長を選挙で選ぶのは)日本にとって非常に良いことだと思います。日本を今よりももっと素晴らしい国にするためには、この制度改革ほど効果的なものは他にないと思うんですね。それで、よくですね、アメリカにおいてはそうやっているが、日本ではそういう選挙は出来ないという意見があります。頭ごなしにですね。最初からそういうことはやる必要がないとか、やらない方が良いという前提でもってみんな議論している。今までね。したがって、アメリカでどうこうやっても、日本ではできやしないし、やっても良い大統領が生まれないよ、と。しかし私はそうは思わない。日本人って、アメリカ人よりも、もっと良い大総理を選べる、もっと良い選挙を行うことが出来る。なぜかというと、一つは平均的に観て、日本人の教育程度の方がアメリカ人の教育程度よりずっと高いですよ。だから、自分で考える頭を持っています。持っていないという人がいますが、そこは国民を信頼すべきです。まさに戦後70年の民主主義教育でこれだけ教育してきたのですから、国民を信頼するべきですね。もう一つは、アメリカはあまりに多様になりすぎて、意見があまりに開きすぎて、そこから問題が出てちゃっている。黒人がいて白人がいる。それだけでなくて、移民がいて、違法移民がいる。それから、色んな社会的な問題、マリファナを吸って良いとか、否、それは駄目だとか。政治そのものの考え方でも、政治の目的とは貧しい者を助けてあげる、だから、政府がお金を出して福祉予算をどんどん出して貧しい人を救うことだという主張が一方にある。これは民主党だけれど、否そうじゃない、共和党の方は、アメリカ全体のパイを大きくするために規制や税金を減らして人々に自由にやらせる、そういうサプライサイド的な経済成長政策を推進するのが政府の役割だとか、あんまりにも開き過ぎちゃって。アメリカの選挙制度というのは、ある意味では、非常に正直にそういう社会を反映するんですよ。今まさに、アメリカ社会のあまりにも多様で分裂した実態がそのまま選挙の結果として出てきて、したがって、共和党と民主党とがあまりにも意見が離れ過ぎてしまっている。しかし、それでもなんとか一緒にやりましょうとの努力があれば良いのだけれども、今の両党の指導者というのは、特に民主党ですけれども、そういう努力をせずに、お互いに全く違う意見を主張し、激しく批判しあうだけになってしまっている。あんまりにも開きがありすぎる社会になってしまったんで、大統領選をやっても、かつてのような国のまとまりというのが無くなってしまっています。ところが日本の場合には、意外に色んな意見の違いはありますけれど、それほど極端な差というのはない。したがって、ある程度のまとまりの中での選挙ということで、私は非常に良い人を選ぶことができる土壌があると思いますね。ですから、そういう観点からして私はアメリカよりも良い選挙ができると思います。一回目からはどうかしれないけれど、それを続けて何回かやっているうちに本当によい選挙になります。例えば4年だったら4年の度に、国民全体が国の政策、国の進路を考える機会が出来る訳で、日本の有権者全体が大きな前進を遂げる。

K;そうですね。

A;ちょっとよろしいですか?憲法に国会議員は「全国民によって選挙された」って書いてありますけれど、今のお話を聞いて本当にそうだなと思ったのは、要するに国民の共通利益をどう創るかという話だと思うんですね。日本の場合はわりに創りやすいんじゃないか、と。原発問題にしても、原発はもうやめた方が良いというのは何処で聞いたって同じような感じで出てくるわけですよね、ただ、そのプロセスをどうするかだけの話で。集団的自衛権なんかの話にしても、ちゃんと話をしていけば、今どういうことが起きていて、どんなことが問題なのかという、ちゃんと情報を開示してですね、話していけば、そこそこ、ああここら辺だなということは出てくるのかなという感じがするんですね。それはなんでかと言ったら、結局みんなの共通利益という頭があるからですけど、今ポールさんが言われたみたいに、一部の人たち、俺たちの利益だけという社会になってしまったら、それは難しいと思います。

K;そうですね。仰るとおりですね。集団的自衛権の問題も昨日お話したように、それぞれの立場に固執するあまりに、議論が表面的に流れている傾向が、これメディアにもありますから。有権者が判断しにくいんですね。よく分かんないっていうんですよ。よく分かんないというのは、結局、なぜ集団的自衛権の解釈変更が必要だと安倍さんが感じたか、その理由が明確でないこと、また、それがなぜ駄目だという理由が、これも腑に落ちる理由になっていない。そこをよりわかりやすく国民に伝えることによって、国民の判断を促していくというプロセスがとても大事ですよね。

A;実態の話、集団的自衛権が必要かどうかという国際情勢の話みたいな、現実的な話ですね、それも分からないし、法制的な話も分からないし、全部分からない。そんな感じもしますね。

K;そうですね。ところで、総理大臣の選び方を根本的に変えて、国民の直接投票で選ぶ。そういう制度を創る場合、憲法の67条、これを完全に変えなくてはならないと思います。いかがでしょうか。

P;ご指摘のとおりですね。そこは、現在の内閣総理大臣の決め方を完全に書き換える必要がありますね。一番大きな書き換えの部分になっていくと思うんです。私自身が2年半前に出版した『ライジング・ジャパン』という本の中でですが、ある意味では試しにですが、もう一度自分の力でもって憲法全体を書き直してみたんです。出来るだけ現在の憲法の――私は現在の憲法はそんなに悪くないと思うんです――、良いところはそのまま活かしながらですね。しかし、内閣総理大臣を決める新しい制度を創設する、そこのところだけは絶対に書き換える必要がある。それでこれを自分自身でやってみたんですね。憲法全体の書き換えはだいたい3日4日程度で出来ました。もう集中して24時間やってましたからね。4日くらいで出来ました。そんなに難しい事じゃない。何が大事かというと、一人でやる必要がある。なぜかというと、憲法においては条項間の整合性がなくてはならない。だから、立法権のところと、行政権のところと、司法権のところとが相互関連性がきちっとできていなければならない。多数の憲法学者に、あなたは国会のところをやって下さい、あなたは行政権のところをやってください、というようなことをやったら駄目になちゃうんですよ。わたしはそんなに頭が良いとは思わないんですけれども、しかしですね、ある程度の知能を持った人間が、ずっと全体を通して書き直してみることによってはじめて、整合性のある憲法が出来上がってゆく。私は自分が満足できる形で試したのでよくわかりますが、そんなに難しいことではないです。67条を書き換えるというのも同じことです。
だから、風間議員、何か機会があったら一大決心をされて、ご自分で憲法全体を一度書き直してご覧になったらいかがかと思います。勿論、その気にならないと駄目だし、必ずしも楽しい仕事じゃないかもしれないし、それから時間がないといけない、それから、集中的にやる必要もある。しかしですね、それやってみると本当に勉強になる。憲法はどうあるべきかというのはそれによって本当によく分かるし、是非、風間議員ご自身が、ある段階でそういう試みをされるのが良いと、私はそう思います。私の憲法改正原案は一つのサンプルですが、あんな形の、風間流のを創ってみたらよいと思います。私と同じものになるかも知れないし、違うものになるかもしれない。それはそれでいいんです。

K;今後、憲法改正に向けた動きがまた活発化するかもしれませんけれども、今は、自民党が自民党の草案を創る、民主党が民主党の草案を創るという形で、政党別に草案を創るという形になっていますね。それはそれで一つの形なんでしょうけれども、やはり、各議員なり各国民なりが試案を創って、それを憲法草案のたたき台にしていくということは極めて有益ですね。

A;私はこの本は素晴らしいと思いました。大統領制ですかね、実質的には。それと整合する形で天皇制というのを考えた場合には、日本では文化天皇論しかないって話がはっきり出ているんですよ。これなら了解できるんじゃないかな、と期待も持てますし、それから上手くいくんじゃないかなという気もするんですよね。

K;そうですよね。天皇の国事行為というものを減らす方向にはなるんですけど、けして、増やす方向にはならないですよね、今後の理論の流れとして。自民党の草案を観ると、逆に増やす方向になっている訳ですけれど、これはやはり非現実的で、やはり今の象徴としての地位をより象徴に近づけるには文化象徴ということになるんですし。

P;国事行為という言葉を、正直言って全部無くしたんですよ。あの言葉は、天皇制を隠れて残すための、言葉の完全なからくりですね。「天皇は国政の権能を持たない」と言いながら、国事行為であれば良いって言うんですね。国事行為って何かというと、国政ですよ。まさに、天皇の権限を残すためにそういう言葉のからくりをしたんですよ。しかし、少し頭の良い人であれば、それはすぐ分かります。完全な矛盾がある。「かたち」に過ぎないかもしれないけれど、天皇は国会を開会する、そういう儀典的な役割をする。しかし逆にいうと、それがないと国会は始まらないんです。だから、これは国政の権能です。だから、国事行為といえば皆、国政なのです。ですから、私の憲法草案では、天皇さまには悪いけれども、国事行為を全部削りました。「天皇は国政の権能を持たない」というのは、これは残してですね。この条項との矛盾をなくすために国事行為は一切なくしました。

A;勲章の制度なんかも非常に政治的ですしね。

K;ああ、勲章ですね。

A;だから、私はポールさんみたいなこういう文化天皇論を徹底的に採っちゃおうと思ったんですよ。天皇のノーベル賞みたいなものを創っちゃう、世界的に。そうしたら、天皇の評価も世界的に上がるというより、天皇制そのものが信頼されることになるでしょう。象徴そのものになっていくであろうと。

K;確かに。

A;平和外交も押し進められるんじゃないかと思いますよね。

K;だいたい予定してきた議論が進んで来たんですけれども、最後に集団的自衛権の話ですね。これが日本に必要なのかどうかという点ですけど、これはポールさん、いかがでしょうか?

P;それが必要かどうかというよりは、現実世界において個別的自衛権を集団的自衛権に拡大するという、そういうことが憲法を修正しないまま進んでますよね。で、したがって好き嫌いに関わらず、それが現実になりつつあるということですね。で、その現実をやっぱり観ないといけない。端的に、集団的自衛権そのものが悪いという議論は、私はおかしいと思うんです。それはずっと前に言ったように、アメリカが同盟関係を結ぶ場合に、集団的自衛権が含まれるのは当たり前なんですね。集団的自衛権は同盟なんですよ。ですから、それそのものはひどいアイディアでも悪いアイディアでもないと。特に国家間が対等である場合の同盟関係は相互に集団的自衛権を持つのが同盟関係なんですね。逆に言えば、今まで日本でそういうことがあんまり議論されなかったのは、憲法で書いてないこともあるけれども、アメリカと日本との関係が不平等関係にあったということです。だから、アメリカが一方的に集団的自衛権を行使して日本を守り、日本は個別的自衛権だけで自分の国だけを守るという、こういう構図だったんですね。それを今度は、日本もアメリカと対等に集団的自衛権を行使し責任を持つと、それはそんなにおかしい話ではないですね。
しかし、その権限を確立しよとするならば、それは今の憲法下では、違憲だと私は思うんです。集団的自衛権を行使するというのならそれは合法的に合憲的におこなわなければならないので、したがって、憲法改正というのは避けて通るべきではないのだと、そういう時期にきているかもしれないんですね。ただし、私自身は憲法を改正するべきか,憲法9条を書き換えるべきかについては中立なんですね。やった方が良いですよ、とは断言していないです。
ところで、もし憲法を書き換えるという場合には、それは憲法9条を書き換えるというんですけれども、第9条を書き換えるだけでは駄目なんです。それだけでは、片手落ちになってしまうんですね。というのは、一番大事な点というか、第9条を変えて、自衛隊なり、軍隊を合憲的に持てる形にした場合には、その軍を動かすのは誰が動かすのかということが当然に条項の中に入らなければならない。

K;そうですね。

P;最高指揮官がいない軍隊はないですから、それが入らないとまずいです。その辺りからですが、第9条の改正の問題というのは、その改正だけでは結局おさまらない。他のところをいじっていかなければおかしな改正になってしまう。危険な改正にさえなる可能性がある。憲法の全体像をやっぱり見直す必要がある。で、最高指揮権を例えば新しい憲法の中に明記した場合に、それを内閣総理大臣に与えるという場合に、現在の形で決まる内閣総理大臣にそういう強大な安全保障の権限を無条件で与えてしまってよいのかという問題があります。日本の軍隊っていうのは世界のトップ5かそのくらいの力があるんでしょうから、それを行使しようと思ったたら大変なことが出来るんですね。そういう軍隊を動かす人ですから、内閣総理大臣がどういう人かいうのが非常に大事なんですね。今の内閣総理大臣の決め方ですと、どういう人が内閣総理大臣になるかが分かんない。プロセスが、国会内の多数の原理だけで決まるので、そういう最高指揮官に全く相応しくない人がなる可能性も随分あって、そういう場合のチェック、そういう人は成れないというチェックの機能が全くないですしね。ですから、現在の内閣総理大臣の決め方が問題で、そのままで新しい強大な権限を与えるということは危険だと思うんですね。今のシステムでは内閣総理大臣が国民を操ろうとすれば本当に操れるような状況なんですね。ですから、今のままの制度で決まった内閣総理大臣にそういう強大な最高指揮権を与えることには私は反対ですね。もし与えるとしたら、この内閣総理大臣というのは、国会の中で互選で決めるのではなくて、国会議員選挙とは別の選挙によって国民が決めるのが正論だと思うんです。こういう安全保障の問題も当然政策論争の中に含めて、日本の安全保障はどうあるべきかというような激しい論争を選挙で相当長期にわたって繰り広げるべきです。その選挙の結果生まれた内閣総理大臣であれば、安全保障に関してもしっかりした政策を――少なくとも当選するまでには――持つようになっているんですね。そして、国民の声を十分に反映した内閣総理大臣ですから、国民もその人にそういう大きな権限を安心して任せることもできるようになると思うんです。敷衍すれば、内閣総理大臣を今の形で決めている限りは、日本の政治のこれ以上の進歩もないんじゃないかと思いますね。したがって、集団的自衛権の論議というのは、誰がその権限を持つのかという、現時点では日本では議論されていない、しかし、非常に重要な問題を正面から議論することによって、日本の国全体の政治制度、選挙制度、すなわちシステムそのものをもう一度見直す絶好のチャンスになるのではないか、そういう問題提起をする絶好の機会になるのではないかと私は考えていますね。

K;そうですね。ありがとうございます。来年、通常国会でこの集団的自衛権の解釈変更の関連法案が出てきますが、その際には今日の議論を踏まえて国会で問題提起をしていきたいと思っています。

A;私、一点気になっているんですけれど、集団的自衛権の話をしていても、日本の場合、朝鮮有事について、集団的自衛権か個別的自衛権か議論してもあまり意味が無いんじゃないかと思っています。米艦を仮に北朝鮮や中国が攻撃したとしたら、次に沖縄とか三沢とかですよね。その時には事態が「集団的」になっているはずで日本も、一緒くたになってやられちゃう訳じゃないですか、そこでこれは個別ですねとか、理屈として集団的自衛権の行使ですとか、言っていたとしてもほとんど何の意味も無い。

K;そうでしょうね。

A;だからこそ、本当は地球の裏側に自衛隊を行かせたいのかという話が出てきちゃうのかな、と思ったりします。

K;ありがとうございました。

(了)

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