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地震名称の変更と韓国政府からの支援
2011年4月1日 (金) 21:37
今日、政府は今回の地震の名称を正式に「東日本大震災」と変更し
菅総理が夕刻の会見で正式に表明された。
3月24日付ホームページの「活動報告」とブログでも記したように
私は同日の民主党議員総会でこの呼称変更を政府・党に要請した。
私の提案を採用してもらったのかどうかは別として
真摯に対応いただいた菅総理、玄葉国家戦略担当相に感謝したい。
ところで明日朝8時、新潟港に韓国政府提供の支援物資が到着する。
水484トン、御飯10万個、ノリ45000。
これら物資は到着後、世界食糧計画(国連機関)の手でただちに仙台に運ばれる。
3月13日、韓国のある友人から「何とか被災地の方々のお力になりたい」と
一本の電話が入った。そしてこの支援物資輸送計画は始まった。
途中、幾多の混乱に阻まれながらも日韓双方の熱意は18日に実を結び
19日京都で開催された日韓外相会談で金星煥(キム・ソンファン)外交通商相から
正式に申し出が行われた。
この間物資提供にお力添えいただいた韓国の友人たち、青瓦台(大統領府)、外交通商部、在日韓国大使館の方々に心からの感謝をお伝えしたい。
また尽力頂いた日本外務省、在ソウル日本大使館の皆さんに御礼を申し上げたい。
484トンの水は何人の喉を潤すことができるだろう。
10万食分のご飯でどれだけの方々に元気が戻るだろう。
45000の韓国ノリは被災地の皆さんに喜んでもらえるだろうか。
一刻も早く、これら物資を被災者の皆さんに届けたい。
明日は私も新潟港に向かい、釜山港から入る輸送船を迎えようと思う。
3.11 あの日が日本を変えた
2011年3月30日 (水) 16:29
震災発生から2週間。
被災された方々にお見舞いを申し上げ、亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。
被災地対応、原発対応に奔走したこの間の記録を以下に残しておきたい。
11日(金)
14:46 議員会館自室で財政に関する説明聴取中、地震発生 都合3回に渡り机の下に潜る
ただちにNHKに見入る 巨大津波が東北地方に押し寄せる映像に戦慄
18:00 徒歩で帰宅 前を歩く人が「まるでお祭りのような人出」と携帯で会話
永田町、赤坂界隈は細い路地に至るまで車と人でいっぱい
20:00 車で帰宅中の友人に地震情報を送信
テレビでは「これだけの他県に跨がる被害は、東海地震、南海地震がダブルで起きたのに匹敵する規模で、「広域災害」を超える「スーパー広域災害」です。阪神大震災を遥かに上回る、180倍のエネルギー」と
秘書2名は徒歩帰宅、1名は議員会館泊
12日(土)
終日国会内の民主党衆議院国対委員長室に詰める
被災地情報収集の傍ら、原発内部で起きている異変情報を知り驚く(13時頃)
急ぎ知人の原発専門家A氏と連絡を取り事故の分析と今後の見通しを聞く
20時半 細野総理補佐官、福山官房副長官が相次いで国対委員長室に
1号機の炉心圧力上昇の解消(蒸気をいかに逃がすか)が専らの話題
対応上の疑問点を尋ねる
23:00 総理補佐官、官房副長官にセカンドオピニオンとしての原発専門家の官邸招請を要請
13日(日)
韓国の友人より電話「韓国から被災地に何らかの支援をしたい」と申し出
調整することを確認
東北被災地の支持者と電話がつながる お見舞いを伝え水、食糧の要請を受ける
14:00 党震災対応本部会議
翌日の株式市場を開けるのか否か問題提起する
玄葉大臣「自見金融担当相が真剣に検討している」と
会議の前後、閣僚、官邸関係者に原発専門家からの聴取メモを渡す
夜 被災地の情報をテレビで見る 衝撃と悲哀で寝付けず
14日(月)
朝、被災地の新潟県津南町長より電話 支援物資の要請を受ける
津南町、十日町市と連絡取り、必要な復旧支援策を官邸、省庁に連絡
東北被災地支援者にお見舞いの電話
9:30 韓国中央日報記者より電話取材 被災地が必要とする物資について支援を要請
12:00 原発専門家からの聴取情報を会議の場で前原、仙谷氏ら党幹部に説明
15日(火)
韓国中央日報に前日のインタビュー記事掲載(「活動報告」参照)
これを見た数名の韓国国会議員より見舞と激励のメールが届く
この間、韓国友人と支援物資受け入れについて断続的に電話協議
しかし日本政府内部の実行ルートがなかなか決まらずもどかしい調整が続く
夕方、A氏より連絡 その後同僚議員より電話
A氏による15日現在の分析を文書にまとめ、官邸の各議員にファックス
16日(水)
東北被災地の支援者にお見舞いの電話
11時前 官房副長官より原発対応に関して電話
新潟県の被災地(津南町、十日町市)と現地視察日程の調整続く
(現場の復旧を優先し与党議員は原則1週間被災地に入らないとの申し合わせ)
韓国支援物資の件、膠着が続く
17日(木)
東北被災各地の支援者へお見舞いと状況確認の電話をする
官邸に福島第一原発の情報が充分上がっていないと推測、原発専門家A氏と党内有力議員の緊急会議開催を企画
A氏に連絡を取り了解を得る
19:00〜20:00 A氏との緊急会議
(この時点でA氏は4号機燃料プールの状態を最も憂慮)
22:00 帰宅途中に閣僚経験者より会議結果確認の電話、地下鉄駅構内で報告
これが契機となりA氏およびB氏(福島第一原発に詳しい電力会社関係者)が官邸に招請される
18日(金)
本会議の合間を縫い、昨日の緊急会議内容をメモにまとめて党幹部に説明
党幹部「官房長官らに伝える」
17:30
在ソウル日本大使館関係者と電話がつながり、一気に支援物資の実行ルートが固まり出す
18:00〜19:00
韓国の友人、日本外務省関係者と10数回にわたり電話連絡
支援物資の種類、搬送ルート、搬入港を概ね決定する
韓国政府および日本外務省内部の根回し・調整をそれぞれに依頼
同時に仙台駐在の国交省政務官に決定内容を連絡
19日(土)
被災地の津南町に灯油届く
この日からの三連休、国会事務所の秘書は輪番で出勤
上越市総合体育館に東北からの被災者をお見舞い(「活動報告」参照)
午後 日韓外相会談(京都) 金外交通商相(韓国)より松本外相に支援の申し出
20日(日)
A氏より原発状況分析の連絡
「保安院による今更のレベル5への引き上げは世界の笑い者」と
21日(月)
終日、被災地情報と原発情報の分析
23日(木)
新潟県津南町、十日町市の被災現場を視察
寸断された道路に息をのむ(「活動報告」参照)
町長、市長から受け取った要望内容の着実な実行を改めて決意
24日(金)
党震災対策本部(長妻事務局長)に津南町、十日町市の要望を手渡す
(「活動報告」参照)
長妻氏「このあとすぐに官邸に持っていきます」
総務省に被災地交付税措置に関する要請を行う
13:21 A氏より原発最新状況分析の電話
25日(土)
15:39
米軍情報として福島第一原発の最新状況分析が入る
東電、保安院がどこまで正確に状況を把握しているのか、との思いが頭をよぎる
これら情報を念のため総理補佐官に連絡
28日(月)
22:43 A氏より電話 原発状況について詳細な意見交換
地震対策本部総会で発言
2011年3月24日 (木) 14:00
12時過ぎから、全議員出席の党地震対策本部総会。
閣僚、党幹部も出席。
この場で私から以下の発言をする。
1. 12日未明、震度6の地震により新潟、長野も被災した
道路、鉄道は崩落し、多くの世帯が避難所生活。
被災地では「東北の方々に比べれば」という声も聞かれるが
復旧が必要になることは論を待たない。
この点への認識と配慮をお願いする。
併せて、気象庁命名の「東北地方太平洋沖地震」は、被害地域の認識をミスリードする。
東北地方に加え、より広域が被災していることから「東日本大震災」といった呼称を党内でも用いてほしい。
2. 統一地方選を予定通り実施することには疑問の声が多く聞かれる
東北の被災地では延期されたが、新潟の場合、被災地もあり、かつ8千名方々が避難してきている。
こうした状態では選挙中の街宣活動も憚られ、有権者も投票の判断基準をもつことすら難しい。
やはり延期を検討すべきではないのか。
3. 震災復興財源には子供手当て等も充てるべき
国家の緊急時であり、子供手当て等の財源も充てるべきだ。
民主党はこの点慎重だ、と報道されているが、理由がよく分からない。
本当に慎重ならば、その理由も明示すべきだ。
これに対し、玄葉光一郎国家戦略担当大臣より
「今回は1000年に一度の大災害とも言われ、『予算がこのままでいいのか』という声は当然出てくる。
皆で知恵を出して対応を考えよう」と。
緊急時、政治は緊急的対応を取らなければならない。
決断を速やかに行うことが政治家の責任だ。
防衛省 被災地への物資輸送・受付体制を確立
2011年3月16日 (水) 17:00
以下、防衛省から各議員事務所に今日午後配布されたお知らせです。
地方公共団体及び民間(原則として個人を除く)からの救援物資の
自衛隊による輸送スキームについて
平成23年3月16日
東北地方太平洋沖地震の被災地域への各種救援物資のより迅速・
的確な輸送に資するため、次のような救援物資の輸送(受付)スキー
ムを構築しましたのでお知らせします。
1 本スキームの概要
救援物資の提供希望者(都道府県、市町村、民間(原則とし
て個人を除く))は、所在都道府県にその旨(物資の種類、数量等)
を連絡。
都道府県は、自衛隊部隊(各都道府県別)(別紙)と調整の上、
救援物資を持ち込んでいただく駐屯地・基地等を提供希望者に連絡。
提供希望者は、指定された日時に、指定された駐屯地・基地
等まで救援物資を持ち込み。
救援物資の輸送については、ア)又はイ)により行う。
ア)都道府県より輸送先の指定(何県)があるものについては、当該県
に輸送。
イ)都道府県より輸送先の指定がないものについては、自衛隊(災統
合任務部隊(東北方面総監部))において、現地対策本部との調整や自
衛隊の現地情報を踏まえ、輸送。
2 輸送対象救援物資 食料(生ものや賞味期限の短いものを除く。)
、水、各種生活用品(ただし、ガスボンベなど輸送ができない物資が
あるため、詳細については、適宜、都道府県と調整。)
地方公共団体及び民間からの救援物資の自衛隊による輸送スキームに
係る連絡調整窓口一覧表
http://www.mod.go.jp/j/press/news/2011/03/16a.html
大震災対応
2011年3月12日 (土) 23:19
今朝から国会内で大震災への対応に当たっている。
先ほど21時過ぎに一旦帰宅したが、福島第一原発の状況で気になる点があり
専門家と電話で協議し、さらに総理官邸に連絡を入れ、一号機への海水とホウ酸注入について照会している。
無事に原発が落ち着いてくれればいいのだが。
いま総理官邸から連絡を待っている。今晩も長い夜になる。
まだ終わっていない足利事件
2011年3月8日 (火) 22:11
午後、月刊「文芸春秋」編集者が来訪。
10日発売の4月号掲載の足利事件連載について意見交換。
連載を書いている日本テレビ清水潔記者は、今月号に相当突っ込んだ記事を書いている。
菅家さんのDNA再鑑定を行った際、真犯人のDNA型が特定されているが
なんと検察側鑑定人の鈴木教授と、弁護側鑑定人の本田教授の鑑定結果が違っておりしかも本田教授の鑑定結果が真犯人のものと合致しているのだという。
清水記者は入念に取材を重ねて真犯人をほぼ特定しインタビューまで行っている。
そしてそうした情報を捜査機関に提供している。
検察は真犯人の精液が付着した被害者幼女のTシャツのみをご遺族に返還していない。
清水記者はその理由として、
Tシャツ付着の精液が再鑑定されれば当時のDNA鑑定法の誤りが完全に立証されてしまいそれらが適用され判決が下された8件の裁判結果が揺らぐ可能性が出るからだとみている。
その中には冤罪が疑われながら被告が死刑となった飯塚事件もある。
やはり検察はご遺族にTシャツを返還すべきだ。
11月に行政監視委員会で行った質疑に続き、近日この件を再度同委員会で取り上げたいと考えている。
それにしても、一体全体日本の検察という組織はどうなっているのか。
先日大阪地検に行政監視委員会として視察に行ったのだが
地検トップの検事正が語る言葉に反省の意識がほとんど感じられず
末松信介委員長以下、一同絶句した。
やはり他者のチェックを受けない権力はどこかがおかしくなる。
検察のあり方については、現在政府で行われているあらゆる検討を注視していこうと思う。
18時から20時まで、東京財団主催の社会保障再検討会議。
ほぼ毎回出席しているが、今日で5回目。
年金制度をどのように再建すべきか、与野党を超えてほぼ考えが収斂しつつあるようだ。
あとは国会で議論を深め、成案を得るべきなのだが。
本会議と野次
2011年1月29日 (土) 21:05
通常国会が始まった。
1月27日、28日と、参議院本会議で代表質問。
昨年の参議院選挙後、本会議場の議席が変わり、私は議場のほぼ中央席に。
ところがこの席、少々問題がある。
自民党席との境目で野次が凄まじく、総理と閣僚の答弁がほとんど聞こえないのだ。
特に、通路を挟んで二つ隣に関西選出の議員。さらにその後方に教員出身の議員。
このお二人を筆頭に、最近の自民党からの野次は容赦がない。人格攻撃に誹謗中傷。
さすがに「そこまで宰相をけなすのか」とげんなりする。
答弁が聞こえないので、翌日の新聞でやり取りを確認せざるを得ないほど。
我々民主党だって、野党時代も今も野次を放つ(温厚な私を例外として)。
しかし野次とはいえ、やはり品格を欠いてはいけない。
最近の自民党からの野次は、「良識の府」参議院としていかにも恥ずかしいと思う。
そんな中、自民党議員の中にも良識的な意見があることを知り、少し安心した。
http://www.taro.org/2011/01/post-903.php
与野党を問わず、他党議員の指摘に耳を澄ます。そして的を得た内容であれば採用し実行する。
お互いにそんな姿勢があってこそ、国民生活に資する政治ができるのではないか。
今後もねじれ国会が続く中、足の引っ張り合いはもうやめたい。
国民のために政治をしよう。
今日の出来事
2011年1月19日 (水) 20:30
12時〜14時 米国シンクタンク幹部と会食
日本の税制、普天間問題、在日米軍駐留問題、日本政治思想等について活発な議論。
16時〜16時半 財務省によるレク(通常国会提出法案説明)
財務省によると、翌年度の税収見通しが立つのは毎年11月末から12月にかけてとのこと。
23年度の税収見通しは40兆円(前年度比3兆円増)。
16時半〜17時 党外交安全保障調査会打ち合わせ
18時半〜 オーストラリア大使館 新年会
明日の早朝5時出勤に備え、今晩は22時に就寝。
訪中報告
2011年1月13日 (木) 22:15
年初から訪中し、北京にて「第四回日中関係シンポジウム」に参加した。
このシンポジウムは世界平和研究所(日本)と中国外交学会が主催しているもので、毎年日中で交互に開催されている。
参加者は日本から大河原元駐米大使、国会議員2名(私と西村康稔代議士:自民党)、大学教授•ジャーナリストが5名、そして丹羽駐中国大使。中国からは唐家璇元外交部長、李肇星外交学会名誉会長(元外交部長)、大学教授らが出席した。
本来は昨年秋に開催予定だったこのシンポジウムだが、尖閣漁船衝突事件で延期されたこともあり、日中双方が尖閣諸島の領有権や東シナ海ガス田の開発を巡り、丁々発止の議論を堂々と行う実に充実したものとなった。私も「両国における国民相互理解への取り組み」のセッションで基調報告を行うと同時に、中国側から提起された新防衛大綱に関する質疑に答えるなど、真摯な議論に努めた。
それにしても痛感したのは、政治体制が異なる両国間の相互理解は容易でないということだ。
例えばある日本人参加者が「日本では政治家がマスコミ論調をコントロールすることなどできない、といくら言っても、相当の日本通である中国人にさせ充分理解してもらえない」と語っていたが、シンポジウムでの中国側参加者の発言にはそうした形跡が垣間見えた。また戦略的であることにかけては人後に落ちない中国人らしく、日本政府の外交政策が極めて戦略的に考察されているはずだという美しい誤解?もあった。
建設的提案をしつつ中国社会の矛盾を丁寧に質すと、的を得た指摘には彼らも反論しない。「引っ越しができない隣人同士」という言葉が双方から何度か出たが、日本の主権を毅然と守り、同時に摩擦をできるだけ緩和する努力を払うためにも、たびたび訪中し相互の理解を深めていきたいと思う。
高校の同窓会
2011年1月2日 (日) 21:06
久々に開催された高校の同窓会に参加する。
40名ほどの同級生たちと再会し、歓談した。
会の終了間際、恩師から話しかけられる。
「長年の教員生活で、将来これを目指すと言って実現したのは教え子の中で4人くらいだ。風間を含めて」
「先生、私、高校時代から将来政治家になるなんて言っていました?」
「言っていたよ。それに文系か理系かを選択する際に、普通どちらにするにせよ文系から2科目、理系から2科目を履修するのに、4科目全部文系から無理矢理取っていたよ」
自分ではそんなこと全く覚えていないのに、恩師の記憶は確かだ。
こうと決めたらそうする(ブレない?)性格はこの頃からのものだった?


